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佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中④〜幼馴染のお二人の川の思い出〜

幼馴染のお二人の川の思い出④

佐久穂町の集落は、昔はどんな様子だったのでしょうか。今回は子どものころから畑ヶ中で暮らす、幼馴染の二人の女性にお話を伺いました。前回は、当時の川遊びについて伺いました。今回は、集落の農村風景についてお話しいただきます。

お話を伺ったのは…

<畑ヶ中在住>
高見澤 幸枝さん(92)
佐塚 つや子さん(92)

[佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中〜幼馴染のお二人の川の思い出〜] 
は、①〜⑤編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中①

帰り道が怖かった桑畑

インタビュアー(以下 イ)「以前に開田の話を聞きましたが、その頃はどんな風な生活をしていましたか?開田の前は何を作って生活していたんですか?」

佐塚さん(以下 さ)「お蚕飼ってた。麦作ったりね。小麦と大麦ね。あっちの開田の方なんて、ほとんど桑畑だったね。」

高見澤さん(以下 た)「うん、桑畑。だいたい桑畑だった。」

さ「この辺だって、みんな桑畑。幸枝さんと子どもの頃は、夕方にここら辺通ってたけど、怖いくらいだったね。」

た「うん、怖かったよ。桑が茂って鬱蒼としてたもの。」

さ「今はおうちがいっぱい出来てるけど、当時は全然なくて。一の渕(現:畑ヶ中3)のあたりに少しあったっきりだから。夕方帰ってくるの、怖かったよね。」

イ「当時はこんなに家が密集してなかったんですね?」

た「全然。」

さ「このすぐ下は結構あったけど、一の渕過ぎたとこらへんからは田や畑で家は、全然なかった。」

た「学校の帰りっていえば、下の道を通ったよね。上の道はね、お墓が二つあって、桑畑で、怖かった。」

イ「下の方には、田んぼはあったんですか?」

さ「子どものころから、一の渕を過ぎたところからはずっと田んぼをやってるね。」

今よりもずっと大変だった田んぼや畑

イ「畑の仕事は何を使ってやってましたか?牛とか、馬とかですか?」

さ「牛飼っている人は結構いたけど、わたしのうちは飼ってなかったから、殆ど鍬柄(くわがら、平ぐわのこと)でやったね。」

た「まんのう(唐鍬のこと)っていう道具もあったね。それで起こすこともあった。鋤もあったし。田んぼも鋤で、みんな手でやって。」

イ「牛も馬もいなかったら、やっぱり手ですよね。」

た「自分の体でね。」

さ「子どものころ、草刈りの許可が出ると、山から草刈ってきてね。田んぼにそれを撒いて、お父さんが鍬柄でふき込んで(混ぜ込んで)。子どもたちが裸足で踏んで混ぜて。バラやアザミは痛かったよ。今のように化学肥料なんてないから、草をふき込んだけど、米は沢山とれないよ。今の半分くらいしか、取れない。」

た「昔は畔塗りっつうのがあったでしょ?畔をしっかり作らないと、いい田ができない。水持ちよくしないとね。」

イ「水が漏れないように畔塗りをきちんとしないと、出来が違うんですね。」

た「苦労したもんだよ、みんな。今の人はみんなシートでするけどね。」

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田んぼや畑も手作業で、今とは比べ物にならないほど労力がかかったそうです。集落の風景も、年月とともに変わったのですね。次回の「佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中 幼馴染のお二人の川の思い出⑤」では、当時のご近所の風景についてお伺いします。今の景色とは全く違う景色があったそうです。

▼続きはこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中⑤

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文 櫻井麻美


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