自分を全部使う旅 day2
今日もギリギリ投稿です・・・
そして先ほどまで子供とのいざこざがあり、やや凹み気味です・・・
長女はいま8歳、小学3年生
中学年の女子・・・色々とありますよね
自分もそうでしたし、とてもよくわかります
人間関係を割り切れるようになった社会人と比べると、小学生での人間関係って本当狭いのに影響力が半端なくて
そんなこと気にしなければいいよ!
他の子と遊んだらいいじゃん!
そんな言葉で片付けたくなりますが、そうもできない気持ちもわかる
幼少期
何を隠そう、私は長女と気質が似ています
同じように育てているのに、次女は完全パパ気質
一度会ったら友達でしょ?のパパ次女に対して、私と長女は人見知りでなかなか広げられない
今でこそ、社会人としての最低限の社交性と、ある意味吹っ切れるというかいい意味で諦められるのでそこまでつらくなくなりましたが
それでもやはり初めましての場面ではとても緊張感が高まります
長女と私、もちろん違う部分もたくさんありますが
「思ったことが素直に伝えられない」
という部分は共通しているのかなと思います
小学生の時、どこかのお店の人に聞きたいことがあるときも妹を使って聞かせていました笑
そしてそれを兄が私の結婚式でスピーチしていました笑
それくらい、幼少期からの私を知っているひとは
私=人見知り=うまく人に伝えられない
という方程式がしっくりくるんではないかなと思います
人から見られている自分
大人になって、人見知りだなーという自覚ができて、でもなんで人見知りなんだろうと考えたときに、というか散々考えてきて、最近気づいたのですが
「人からどう自分が見られているか」ばかり気にしているのだろうなというところにたどり着きました
相手のことを考えて、どうしたらその人がいやな気分にならないか、喜んでくれるかといったことを考えてコミュニケーションをとることが根っこにあると思っていたので
「相手のことを考えすぎ」なのかなと思っていたのですが
実際は逆で「自分がどう見られているか、自分のことを考えすぎ」なんだろうなと気づきました
子どもに言っているようで自分に言っている
そんなことに気づいた頃、ちょうど長女が小学生になり徐々に女子の面倒な部分が見え隠れし始めて
自分の思い通りにならないことがあると気づいたときに
あまり意見を主張するタイプの子ではないので
「どうしたあの子はあんなことするんだ」「どうして私を誘ってくれないんだ」
というようなことを言っていて、そんな長女にかけた言葉が
「自分は変えられるけど、人は変えられないよ」
「あの子がどう行動するか、どう思っているかはあなたの問題とは別だよ」
「あなたはどうしたいの?」
というようなもの
コントのようだけど、言いながら「そうだよね~」と頭の中の自分が相槌をうつようでした
自分の思いを伝えないで、自分は行動しないで、それなのに現実が自分に都合よく動くなんてないんです
子どもにそう伝えながら、私自身に改めて喝を入れる気持ちになりました
どうしても自分と同じような部分で悩んで、うまく立ち振る舞えない長女をみると、いらいらっとする気持ちになることがあります
おそらく、自分自身を見ているような気持ちなんだと思います
今日はうまくいかなかったけれど
感情的にならずに、自分自身はどうしたいのか、そういった気持ちを引き出してあげたいなと
この文章を書いてて思いました
本日の学び
過去の自分と娘を重ね合わせて勝手に感情的にならない
過去の自分が人間関係に試行錯誤してきたからこそ、今の自分がある
「自分はどうしたいのか」という視点に戻る
全くもって思っていたことと別の内容の記事になりましたが、まぁいいです笑
引き続き自分を全部使っていこうかと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!!!
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