理学療法士としての危機感から感じた自分を言語化する意味
noteを眺めるのが日常になってきている
色んな方の記事を見ていると、色んなジャンルの記事がレコメンドされる
世界が広がっていくようで面白い
(ただし、自分が動かなくても広がっている感覚になってしまうのは要注意だけど)
さっき、ある記事が目に留まった
介護職よりもリハ職の給料の方が今後下がるのではないか
という記事
気になってググったら、今のところこんな感じらしい(「職種 平均年収 厚生労働省」 でググった一番上に表示されたものなのでどこまで正確な数字かは不明確だけど)
その記事では、需要と供給の関係で
介護職の給与↑、 理学療法士の給与↓
になるんではないかということ(そんな端的な表現ではないけれど)
現実問題
これ・・・とても納得できた
そもそも、やはり介護職はどこも人手不足
一方、理学療法士は分野によって差はあれど、飽和状態
まずマンパワーでいったら、人手がたりないのは介護職に間違いない
そしてこの記事では、高齢者介護施設での給与をさしていたのだけど
在宅領域
という枠組み全体においてもそうだと思う
なぜ、そう思うかというと、訪問診療で働いていると、退院直後の方の介入がとても多いのだけれど
介護サービスが
看護と介護>福祉用具>リハビリ
という優先度で調整されていく感覚がある
なぜ訪問診療をいれないかというと医療サービスだから
(ここはややこしいのだけれど、看護とリハビリは医療・介護どちらのサービスの可能性もある。けど分かりにくいので介護ということで話を進めてみる)
病院では看護師さんがいるのが当たり前
ベッドも車いすもあるのが当たり前
点滴が必要なら看護師さんがやってくれるし
トイレに行くのも手伝ってくれる
食事だって介助してくれることもある
だけど自宅に帰るとそうはいかない
お一人で生活している人や老夫婦では介護力が圧倒的に少ない
介護サービスで身の回りのことをやってもらうことが前提で退院してくる人もいる
また、点滴など医療処置が必要な人だと看護師さんの介入も前提だったりする
一方、リハビリはというと
厳しめに言うと
生きるか死ぬか、生活できるかどうか
に関していなくても大丈夫
そうなると優先度は下がりますよね
リハビリの必要性
ではどうして必要なのか
それは、
生活の質を上げるため
という言葉が一番分かりやすいんではないかなと思う
痰が多い→吸引必要→介護・看護が必要
ここで理学療法によって、自分で痰を出しやすくなる という効果が得られたとする
そうすると
吸引が減る→本人の苦しさが減る+介護・看護の必要性が下がる(他の部分に時間が割ける)
1人で歩けない→介護者がいるときしかトイレいけないので基本的におむつで排泄
ここで理学療法によって、トイレ脇のポータブルトイレなら一人で乗り移りできるようになる という効果が得られたとする
そうすると
おむつでの排泄がなくなることでの自尊心の再獲得+介護量が減る
こんな感じで、必ずないと生活が回らないわけではないけれど
本人も介護者も身体的・精神的な負担を減らす
そして本人も自分らしく生きる力を取り戻せるのではないかなと
もちろん、みんながそんな目に見えて改善するわけではないけれど
少なくとも、いまある資源(本人の身体能力はもちろん、介護力や介護サービスに割ける財源などの意味も含めた資源)をどうやって有効活用したらいいのか、という考え方を元にアプローチを行えるのが理学療法士の強みであり、リハビリの必要性なのかなと改めて思いました
逆に言うと、そういった考えなく、盲目的に同じアプローチしかしていなかったりすると本当にサービスとして切られていくだろうなとも思う
危機感
今回、この記事を読んで感じた一種の危機感
理学療法士が不足していてもてはやされた時代はとうに終わっていて
しっかり自分たちの強み、どんな部分に貢献できるのかをアピールしないといけないなと強く感じました
伏線回収
上の文章を読んでいて、既視感
自分の強み、自分がどんな部分で貢献できるかを言語化する
これって、自分らしく生きるために必要な要素として最近気づいたやつだ!
一緒だ!笑
最近、なんだか伏線回収というか、自分の過去の行動がここに繋がってるなーと思う機会が多くて
これって、自分らしく生きるを体現できてきている一つのサインなのかななんて
とはいえ、ここからもたくさん回収しつつ、種も引き続き蒔きまくろうと思っています!
今日はタイトルがまとまらず、長ったらしくなってしまった・・・
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!!!
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