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今こそ山本浩二さんを救いたい

皆様あけましておめでとうございます。2023年は野球界が盛り上がった年でした。WBCで侍ジャパンが優勝。大晦日には6時間超のWBC特番が組まれましたね。そんな今こそ第3回WBC日本代表監督を務めた山本浩二さんを救いたいと思い、本noteを執筆しました。

就任の背景

まず、歴代WBCの軌跡を整理したいと思います。05年の第1回は王貞治氏が指揮を執り優勝、09年の第2回は原辰徳氏が監督を務めて優勝。二大会ともに日本が優勝しており、三連覇がかかる中での就任でした。

糸井嘉男、山本浩二、梨田昌孝 13-02-05_オリックス宮古島キャンプ_090

当時の記憶としては、「優勝できなければ失敗」という雰囲気が強かったように思います。そんな中でいわば”貧乏くじ”のような役割を引き受けたのが山本氏でした。当時67歳、最後に現場で指揮を執ったのは2005年とブランクも空いており、当時の反応は厳しいものが多かったと記憶しています。

代表選考

MLB所属のダルビッシュ有、岩隈久志、青木宣親、川﨑宗則、イチロー、黒田博樹の6選手全員から出場を辞退され、オールNPBで挑むという戦力的にも非常に厳しい状況でした。さらに、代表経験のある中島裕之藤川球児がMLB挑戦のタイミングと重なり選出できず、投打ともに歴代大会の中で最も戦力的には厳しいメンバーとなりました。

特に投手に関しては、150㌔を超すような投手が澤村拓一、田中将大、今村猛の3人ぐらいしかいません。大谷翔平佐々木朗希など160㌔を超すような投手がいた第5回メンバーとは対照的です。(低反発統一球の功罪で低速な技巧派投手が恩恵を受けていた側面もあると思いますが…)

また、野手に関しては当時41歳の稲葉篤紀、38歳の井端弘和&松井稼頭央が代表入りするなど世代交代の過渡期でもありました。山田哲人柳田悠岐筒香嘉智の開花前というタイミングも不運でした。

このような厳しい状況で優勝こそ逃しましたが、最終的にベスト4という最低限の実績を作った点はもっと評価されてよいと私は思います。

↑参考:WBC前年の野手の状況はこちらのデルタの記事が参考になります。

↑参考:WBC前年の投手成績

功績

最後に山本ジャパンの功績を書き連ねていきます。

侍ジャパン、山本監督。#samuraijapan #wbc2013

①厳しい状況下でも日本のメンツを守った

MLB組が全員出場を辞退、国内のメンバーも今振り返ってみると世代交代の過渡期という厳しい戦力状況の中でしたが、ベスト4という二連覇中の王者としてのメンツを守りました。

②国際試合の経験を積むことの重要性を教えてくれた

本戦では、ブラジルや台湾、プエルトリコといった海外の投手に苦戦しました。実力的には格下に当たるのでしょうが、初めて対戦する異国の投手への対応、特にツーシーム系の球種への対応が課題であることが露見しました。これにより海外チームとの対戦機会の確保する動きが高まったように思います。

③国際試合の増加

②を受けて、国際試合が増えました。大会後の14年に侍ジャパンをバックアップするNPBエンタープライズ(株)が設立。強化試合や日米野球などの試合の企画・運営を行うようになりました。第3回WBCに向けた強化試合は前年秋のキューバ、大会直前のオーストリアのみでしたが、大会以降は13年秋に台湾、以後日米野球や欧州選抜、メキシコやオランダと継続的に代表強化試合を行い経験値を積むことができました。結局第4回WBCで身を結んだかは微妙でしたが、第5回大会の優勝には少なからず影響をもたらしたと思います。

④監督の育成

山本監督の逸優勝が反面教師的に代表監督の重要性を教えてくれました。今回の反省材料として、大会前年の10月に現場から長く離れた状態の山本氏が監督に決まり、すぐに大会を迎えてしまったことが挙げられました。その反省を生かし第4回監督の小久保裕紀氏は第3回大会から約半年後の2013年10月に監督に就任。小久保氏にプロ野球での監督経験はありませんでしたが、③で述べた国際試合の増加により、22試合の対外試合+プレミア12での10試合の計32試合の指揮をWBC本戦までに経験することができました。(山本氏は本戦までに5試合でした)

⑤WBCへの関心の高まり

第3回大会までは「勝って当たり前」という雰囲気が強く、世間的な盛り上がりも第5回ほどではありませんでした。(言い方は悪いけど野球ファンだけが盛り上がっている感)

今大会でプエルトリコに敗戦したこと、台湾やブラジルに苦戦したことで「モリーナすごい」「ブラジルいいじゃん」「台湾も強い」など他国の野球への見方が変わった面もあったと思います。(第2回まではほぼ日韓大会みたいでしたし…)

こうした世界野球への関心の高まりに侍ジャパン興業化や広報活動がWBCという大会の日本国内での権威を高めたように思います。

おわりに

失敗は成功のもと」という言葉があります。第3回大会での”失敗”は、その後色々な形で日本球界に影響を与え、10年後の第5回大会での成功につながったと私は思います。大変厳しい中で監督を引き受けてくださった山本氏に野球ファンの1人として感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。そして、これからの侍ジャパンがどんな戦いを見せてくれるか楽しみです。

長文をお読みになっていただき、ありがとうございました。よろしければ「スキ💓」をいただけると、記事作成の励みになります。

Photo:https://flic.kr/p/dYrERj

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