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私はどうして「ピアノが苦手」になったんだろう

はじめて「バズる」ということを経験した。


正確にはSNSでバズった経験がないこともないのだけど、それは私の柴犬が動物病院に連行されていく動画であったから「自分の描いた漫画で」という意味では初めてのことだった。

(ちなみにこれがバズった犬である。可愛い。)


漫画の話に戻る。

この時描いたのはザックリ説明すると「哲学というものが分からなかった主人公が先生と生徒のやりとりを見て、哲学を理解した話」だった。

そしてこれは私の実話だ。

様々な反響があったのだが、コメントの中に「こんな先生だったら哲学を嫌いにならずに済んだのかもしれない」「最初の授業でつまらない授業だったからなんとなく苦手だったけど、哲学って面白そうだな」といったものがチラホラ見られた。

そうした「最初の授業でなんとなく苦手になってしまった」という経験は、私にも心当たりがあった。


だから、その心当たりを漫画にした。

この漫画は私が幼い頃ピアノの先生の説明を理解できなかった話である。

つまり最初の哲学漫画の真逆ともいえる。

この漫画は哲学漫画ほど拡散はされなかったが、それでも多くの人に読んでもらえたようで、中には自分の過去と重ねて辛くなったという方もいたらしい(それは少し誤算だった。)

このピアノ漫画もほぼ実話だ。そして、あの頃からずっとピアノに対しての苦手意識は拭えずにいた。

しかし、このピアノ漫画を深夜に描き終えたとき

私はふと「逆にいえば、たったそれだけの事なんだよね…。」と気付いた。

哲学漫画もピアノ漫画でも、最初の授業で「これは面白そうだ」「これは私には難しいものなんだ」と結論づけた。

でもよくよく考えてみれば、その時点での私の知識は他の人と大した差はないし、能力もさほど差はなかった。(ピアノ漫画で私以外の子は理解出来ていたが、それは今なら言える「それは私の能力の問題ではなく先生の説明の仕方が悪い!!」)

結局のところ、ファーストインプレッション(第一印象)が良かったか悪かったか、それだけで我々は自分が得意か不得意か、それを決定している。


たったそれだけだ


もちろん、何かを学ぶ時、新しい技術を手に入れたいと思った時、優れた師に出会えるというのはとても幸運なことだ。

だけどそんな師に出会えなかったとして、それどころか酷い師に当たってしまったとして、その学問を全て嫌いになってしまうのは、例えるとするなら、女癖の悪い男と付き合ってしまい、別れた後に「男なんて…」とくだを巻いて、「男」全てを否定するようなものではないだろうか?

もしくは「私がダメな人間だったから、悪い男に捕まったのね」と考えるくらい不毛ではなかろうか?

何故、このような現象が起こるのかと自分なりに考えてみたとき「その学問に対する知識の割合が少ないからではないか?」という仮説を立てた。


自分でも書いててよく分からないので図解すると

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このような所だろうか。

同じくらいの能力値の人でも、何度も勉強している人は分かるところもあれば分からない所も出てきて、大体自分はこのくらいの理解度だと分かる。

しかし、その分野に触れたことがない人は「最初の授業における自分の理解度」が全てなのだ。

それが良ければ問題ないが、悪いともうその時点で「この学問は私には合ってない」「この学問はつまらない」と、つい結論づけてしまう。

もちろん直感を信じて面白そうなものだけに手を出すのも全く問題ないし、わざわざ食指の伸びないものに手を出す必要もないわけである。

でも、前からやってみたいと思っていたものの第一印象が悪くて、ただそれだけで自分には合わないと諦めてしまう。


それは、なんだか、勿体無い気がするのだ。


昔、意気揚々とピアノ教室のドアを開き、齢4歳にして自分には「ピアノが向いていない」と結論づけた私に

「本当にそうかな?」

「それって先生の説明が悪かったんじゃない?」

とはもう言えないけれど

今、あるいは以前に似たようなことを経験して落ち込んでしまった人が、この文章を読んで少しでも心が軽くなれば、いいな、と思っている。

サポートされたら、すこし贅沢して美味しいものを食べて、そしてそれをエネルギーにしてまた書いていきます。