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やっぱり、かぐや姫なんて知らない

あたしは月を飼っていて、その上花粉症なのです。だから春は好きだけど、春が大嫌い。ね、分かるよね、そういう話をはじめます。

「昨日の話をしようか。ねえ聞きたいでしょ?」
ピンク色の子ども部屋で、もう子どもって言うには大きくなってしまったあたしと月が並んで座っている。あたしは勉強机の椅子の上にあぐらをかいていて、月は座るといっても足がないのでベッドの上に転がってる。
「朝八時ぴったりに学校の門をくぐって、自分の席に座って斜め前のドアを見つめてたんだよ。まだ冬だから教室はひんやりと、冷蔵庫の中のお豆腐みたい。誰もいないの。だってHRは八時四十分からだもん」
月が隣でピカピカ光る。早起きするなんてバカみたいって言っている。当たり前だけど月は夜行性なのだ。
「卒業式の予行練習って、なんなんだろう。入学式のときはやらないでしょ? じゃあ試しに入学してみましょうかってオカシイからさ。でもそうしたら卒業だって同じことなのに。それでも、何事も練習が大事ですよってそういう場所なの学校ってね。冷たいお豆腐の体育館に緑色のシートを敷いてパイプ椅子をえっちらおっちら並べてくれたのは去年のあたしたちであるところの後輩で、神妙な顔して入場して文字通り隣と肩を並べてハイ座りました。それからどうしようもなくむず痒いお辞儀の練習なんかをやらされて、いよいよ名前が呼ばれるの」
ふと考える。お前に名前はあったかしら。月というのはいったいあなたの名前なのでしょうか。月子、とか、ツッキー、とかそういうのがあったほうがいいのかしらん。
「逃げ出した黒いウサギの名前は?」
ポペコンポペコンと怪しく光るから、たぶんポぺコンて名前。可愛くない。凸凹グレーの表面を撫でれば、ザラザラザラリと音楽になる。無重力なんて無かったんだよ。夢だったんだよ。歌って歌って、あたしの思い出にメロディーをつけて。でも、果たして昨日ってもう思い出なのかなあ。
「時間がないからA組だけってそんな、A組だけ卒業しちゃうよ。横暴だあ。F組だから全然大丈夫だったけど。それから送辞で知らない後輩が出てきて喋ったら、あたしの番」
さっきはセーフだったけど、はいとか言って立ち上がったからもう卒業。カチコチと歩いて壇上に着いたらマイクをかする程度に調整したりして。練習だから名前だけ言って席に戻った。それだけなのに心臓が熱くてとろけそうなくらい。パイプ椅子でひとりだけ、二十五ⅿ泳いだ後みたいな息をしているの、恥ずかしくて上履きを見つめたらそこに三年間が詰まってる気がした。去年買い換えたの思い出すまでは。
途中から声に出して喋るのが面倒になって眠くなってそのまま目を閉じた。
「おやすみ、夕ご飯まで眠るね」
椅子に座ったまま、まんまるの月とおなじく球体の頭が一点でコツンとぶつかりあうようにして、ブラックアウト。

月が落ちてきたときの話をしようか、きっとそっちのほうが聞きたいはずだから。ね、そうでしょ?
全くの偶然だとあたしは思っているけど、運命だか必然だか、そういうやつかもしれない。あのときは確か、塾の帰り道だった。もう十時近くて当たり前に夜が暗かった。あたしの家は山の上にあるので、ふらりふらりと坂を上っていた。右肩にはテキストと筆箱が入ったトートバッグをひっかけて、適当に選んだTシャツにジーンズで、今よりはだいぶ髪の毛が短かった。
夏の終わり、夏期講習の終わりのほう、だった気がする。塾には同じ学校の子が全然いなくて、夏中同じクラスだった人たちとも会話をしたことがなかった。なかったけれど、陰口を叩かれているのは知っていた。どうでもいいと思いながら、塾やめたいなあと思うくらいに気にしたりしていた。どう頑張っても数学ができないことはそんなに気にならなかったのにね。とにかくそのときはアスファルトの急坂を踏みしめながら、やめたいなあ、とぼんやり思っていたのだ。でも自分じゃ勉強しないしなあ、なんて。
たぶんいつも通りイヤホンを付けていたので、白いコードが両耳から飛び出していた。大昔に買ったCDを、大昔に買ったミュージックプレーヤーから垂れ流しているのは、今もおんなじ。聴いてなんかいない。急にひゅうんと音が聞こえて白いコードをひっぱって抜いた。やっぱりひゅうんひゅうんといっていて、しかもだんだん大きくなってくる。音がそっちからしている気がして空を見たら、群青色に晴れていて、周りの電灯に負けない星だけがいくつか見えて、月が見えた。もう少しじっくり見ていたら、その月が落ちてきてることが分かった。だから、両手を出して、ナイスキャッチ、した。
落ちてきたところで、空を見上げて見ていたときと同じくらいの大きさだったからあんまりみんな気付かなかったのだ。遠くにあるから小さく見えるっていうのは、なんだか間違いだったらしい。あたしのところ目がけて落ちてきたからあたしだけがそのことに気が付いた。月は、女子高校生が両腕を回してぎゅっと抱きしめられるくらいの大きさなんだって。だからアポロは全部嘘。アポロチョコレートは美味しいけど。
そのまま家に連れて帰ってお部屋で飼っている。月はご飯も食べないしトイレもしないし吠えないし毛も抜けないから、良いペットだ。特にママにバレずに飼うにはもってこい。ただ、空から月がなくなったらしいってことは流石にだんだんみんなにバレちゃって、お月見ができないとか言って騒いでいたけど、少ししたらみんな忘れてしまった。
お月見は、今のところあたしが全部独り占めだ。月を飼い始めて変わったことといえばそんなところだし。毎日ベッドに寝転がりながらお月見ができるってこと。あとはなんだろう、月がうっかり落ちてきた次の日に、あたしがうっかり恋に落ちたことくらい。

「ただいま」
ピカピカペコペコ、たぶんおかえりってこと。
「卒業式の話するね。最後だから卒業式なのか、卒業式だから最後なのか、タマゴとニワトリだったらニワトリ派なんだけど、鶏肉と牛肉どっちが好き?」
興味がなさそう。光ってすらくれない。
じゃあいいや、ってとりあえずスマホをチェック。今日撮った写真がみんなから送られてきているのを、何も考えずに全部保存する。思い出だもん、データが消えるまでは全部取っておこうと思ってるから。どの写真でも、最後だからと女子高生らしく華やかなみんなの中で一番真面目に制服を着こなしてるあたし。みんなのなかでひとりだけ、二度壇上にあがった、あたし。一体何を喋ったか、覚えてるけど忘れてしまいたい。
手持ち無沙汰な左手が無意識に温かいグレーを探す。月はちょっとあったかい。だから生きてるってわかる。冷たくなったら、たぶん死んじゃったってことだから、月を飼いたい人は参考にしてください。月が全部で何個あるのかあたしは知らないけど。うちの月と、よかったら友達になってあげてね。
「第二ボタンって知ってる?」
喋ったのはもちろんあたし。月には口がないんだよ、知ってるくせに。
「学ランの、上から二番目のボタンのことなの。別にそれ以外になんの意味もないの」
第何ボタンだって金色で三年分汚れてて、爪ではじくと安っぽい音がする。
「あたしはそれをくださいって言った。あの子は困ったように首を傾けて、ごめんねって言う。予約、入っちゃってる、だって。変な顔してた。眉毛が下がってて笑ってた。あたしはなんだかもう全部混じっちゃって、もっともっと変な顔してた。それだけ」
それだけ。今日の話は終わり。
月をお腹に乗せてぎゅううと強く抱きしめる。身体が月に沿って丸くなってしまうくらい強く。今日で最後の紺色のスカートは、シワがついたって構わない。
抱きしめることに集中しながら、月が落ちてきてもう二年と半分が過ぎたんだなあなんてぼんやり考える。あたしは未来なんていらない。だけど今を繰り返すだけで未来に行き着いてしまうのなら、どんなに未来になったって過去になった今のことを忘れてなんかやんない、絶対に。
月が黒ウサギのポぺコンのことを考え出した気がしたから、右手でバチンと叩いたら、てのひらが赤くなった。痛くて泣いた。涙が月にかかって、ザラついた表面に染み込んだ。

三月はもう春だから、あたしはいっぱいくしゃみをしてます。はっくしょん。この話は、もうおしまい。

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