10年続けていること

 プライベートで日記を書いている。大学ノートに書き続けて10年目になるから正確には丸10年まではもう数か月ある。

 元々は、うつ病の発症以降記憶力の減退を感じたのでそれを補うために始めたのだが、かれこれ60冊も書いてしまった。書けば、頭が整理されるし仕事柄教える上でも量を書く訓練が必要だったので、重宝したのだ。

 ページをめくると何年前の今日、自分が何をしていたのかわかったりするので、楽しい。ただ何年単位で見てみると自分の人生が小さな気づきや拾い物のような発見、体験の前後で少しだが決定的に変わっていると感じる一方で、本質的には何も変わっていないように感じてへこむ。

 日記を見ていると劇的な成長を遂げる漫画の主人公や大河ドラマに出てくる歴史上の人物というより、学者が論文で指摘するような誰にでも起こりうるが、決定的な小さな出来事で自分の人生が方向づけられ出来上がっているようにみえる。

 そう結論すると今後の人生も劇的なことなどないのだと思えてボー然としてしまう自分がいる。『きっといつか凄く良いことがあるはず』と無意識に期待し続けて、人生を歩んできたからその癖が心を苛む。

 でもよく考えれば、そんなランダムでギャンブルな人生を誰もが送っているわけもない。降って湧くような幸運や不幸はドラマの題材になるぐらいこの国では希少。そんなツッコミを入れながら自分の日記を読んでいる。

 日記をつける習慣は続けそうだ。書くことで頭の中が整理されるから。だが自分でも読み返すのに根気と気力が必要な量なのでやや持て余してもいる。第一、書くことが鬱治療になると思ったのにまだ服薬しないと日々が覚束ない。10年目まで頑張ってきたけど、このままでは希望はやはりない。

 なので、Twitterとnote。書くということは同じだが発信を伴う。書いたことを知ってもらうことが心を軽くすることも経験上わかっている。10年目の日記のその後がどうなっていくのか、まずは日記同様書き続けるところから始めていきたい。

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