長編読みは二次小説に何を求め、短編読みは二次小説に何を欲していのるかが何となく分かったという話

あーーーそういうことね完全に理解した(分かってない)



本題の前に

本ブログは、基本短編書きの筆者が普段よりちょっと長いのを書いたところアハ体験をキメたので、それを備忘録的にメモしておこうというものである

正直なところ、俺は未だに「長編のが短編より優れている」系の言説に微塵も共感できていない。俺に言わせればああいうのは全部個人個人の趣味嗜好によるものだし、その一部には「俺はこんだけ苦しんでるんだから、お前も苦しめ!」みたいな思考を感じることもある。ただそれはそれとして、長編書き・長編読みのひとが執拗に「長いのを書いてくれ!」と言ってくる理由が今回なんとなく分かったので記録として残しておこうと思う。

あ、そうそう、あとこれは完全に二次創作に限った話だ。俺は一次創作を書いたことなど正真正銘のルーキーだった頃にしかないわけなので、そっちの界隈は全く分からないのである。申し訳ない。
余談だが、当時の作品はまだpixivに残っている。正直あんま見てくれるな。めっちゃ恥ずいので。でもまあ「こんなヘボザコ物書きでも頑張れば二年でこのくらいまでは行けるのか!」みたいな感じで励みにしてくれるとちょっと嬉しい。


では、本題。


長編読みの求めるもの

これはもう本当に単純で、なにかといえば「没入感の長さ」と「キャラクターの深み」だ。ちなみに俺はこれを実感するのに2年ちょっとかかった。

・没入感の長さ

人間は欲深いので楽しいことがあると「終わらないでくれ!!!」と叫びたくなる節がある。小説読みも同じである。作中世界に永遠にどっぷりと浸っていたいと読み手が望んでいることの一体何処が責められようか。というわけで長編を読むだけの体力のある読み手が小説を読むとちょくちょくこんな感じになる。

・キャラクターの深み

これはちょっとややこしい。

前にTwitterの何処だったかで、「創作キャラを作るときには自己紹介を書くのではなく、まずそいつのことのよく分かるエピソードを一つ作れ」云々、という言説を見た覚えがあるのだが、要するにこれである。

「優しい」「理性的」「XXが好き」と書いたところで読者には実感が伝わらない。例えば「優しい彼女が我慢の限界でキレる話」を書こうとして彼女の「優しい」部分の描写をなおざりにしたら、読者からすれば「なんか女の子がキレてる話」にしか見えない。まあこれは本当に真理だと思う。

で、「それなら彼女の優しい部分をしっかりがっつり書き込めよ」と言ったところで「じゃあなんでキレたのかもがっつり書かなきゃね?」と言いたくなるのが長編読みの性であり、「じゃあ優しい彼女に甘えていた相方の心情もがっつり読みたいな♡」と言ってくるのが長編読みの業である。こうして物語は際限なしに長くなるのだ(?)



短編読みの求めるもの

じゃあ一方で、短編読みはなにを考えてんの?って話になるわけなのだが、これはざっくり「スナック感覚」「文脈踏襲」の二つに分けていいだろう。

・スナック感覚

喩えていえば、「読み手はシュークリーム一個が食べたいのであってアメリカンサイズのホールケーキ丸々一つを食べたいわけではない」のである。

甘々な展開でも鬱々な展開でも、或いはギャグコメディであっても、長く続けば食傷気味になるのである。有体に言えば飽きるのだ。そういう話を書くのであれば、緩急つけるか、或いはしっかり短くまとめてくれ、という思いは分かってくれるだろう。この思いの中でも後者を強く求めるのが短編読みというわけなのだ。

短編読みというのは、言うなれば、一枚絵だとか1p漫画だとかを好む層などに近いのだろう。短くまとまって、良いエッセンスを感じられれば、それでいい。本腰を据えて読むのではなく、おつまみ感覚で短いものを読みたいと思っているのではないだろうか。

……ちなみに、世の中には「長い話だと体力が保たないので読めない」という層もいるそうな。我々のように長編でもばりばり読むような人間には、ちょっと信じられないような話である。

・文脈踏襲

今話しているのはあくまで二次創作の話である。そして二次創作であるならば必ず原作が存在し、原作があるならば「原作での文脈」が存在する。短く話を纏めんとするならば、この「原作での文脈」を利用しない手はないだろう、というわけである。無論であるが、この「原作での文脈」にはしばしば「捏造されて流布している設定ミーム」も含まれるのだが、……まあそれは些事だろう。

原作で立ち姿は描写されているのだから、姿の描写は不要かもしれない。
原作を知っているのだから、彼女の性格は説明しなくていいかもしれない。
原作で起こった出来事なのだから、一行で終わらせてもいいかもしれない。
みんなそう言ってるのだし、こいつら最初から付き合ってていいよね!

そういった物語の簡略化の果てに「ほとんど書きたいシーンだけでその物語を終わらせる」という手法や「最後にネタ晴らしをして叙述トリックを完成させる」などといった作品が世に生まれてくるわけなのである。



終わりに

明らかに力の入り方がおかしいあたり見ての通りではあるのだが、再三繰り返しておくと「短編より長編の方が優れている」なんてことはない。少なくとも俺は、長編と短編の間に優劣などないと考えている。

ただ一方で長編にしか表現できないものというのは存在するし、長編映えの著しい作品というのも無論ではあるが存在する(逆もまた然り)。長編を書いた経験は短編の鋭さを増しうるし、短編を書いた経験が長編のテンポを改善することもあるだろう。そういう意味では、片方に習熟してきた頃に触れてない側の分野に挑戦すること自体は、決して悪いことではないのだろうと思われる。


「慣れてきた頃に」だぞ!!!
始めたてほやほやの時期、ようやく短編に慣れてきた辺りで唐突に長編書こうとするのは辞めておけ!!!いいな!!!

(というか正直に言えば、長編/短編を書くと思って書くんじゃなくて「書いてたら長編/短編になってた」が理想だから。そうなるまでは無理に挑戦する必要もないんじゃないかと思うよ俺は。)




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そういうわけで、これがアハ体験を引き起こした作品です。
レミフラ過去話です。たぶん拙作の中でもトップクラスの出来だと思うので是非読んで行ってくださいな。

創想話で読む↓
http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/228/1581685762

pixivで読む↓
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12375430


最近ぽつぽつハーメルンにも投稿しています。
ハーメルンで読む↓
https://syosetu.org/novel/214520/


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