見出し画像

【謎】農家になったきっかけ!!!後編

2021.06.05(土)


ご覧の皆さんなかなかいないけどこんばんは。

saku【柑橘農家】です。

今回は後編になります。                       前回の記事を見ていない方はこちらをご覧ください。          ↓↓↓↓                              「謎」農家になったきっかけ!!!前編

今回は東京での大学時代のお話をしていこうと思います。

高校を卒業した私は東京農業大学(以下、農大)に進学しました。高校時代まで私が農大に抱いていたイメージは正月の箱根駅伝で見かける大学、大根踊りという謎の踊りをしている大学、何で関東に農業大学があるんだろうというものでした。

農大に入ったきっかけは高校時代の恩師に勧められたことでした。高校のOBが農大の農学部で教授をしているから行ってみないかということでした。農業に携わる仕事がしたい、そして東京に行きたい!!!という考えだった私は受験をしました。落ちました。頭が足りないようでした。

農学部に落ちた私が二次推薦で東京農業大学短期大学部(現在は廃止)を受験し合格することができました。希望していた学部では無いものの、短期大学部に入っておけば編入するチャンスもありました。

大学生活は自分の中でとても良い思い出になっています。短期大学部時代は、収穫祭(農大の文化祭)の本部に入り、東京の至るところで大根踊りを披露しました。新宿駅、渋谷駅、下北沢駅、日比谷公園、、、仕事中のサラリーマン達が忙しく歩いている横で狂ったように踊っていたのを思い出します。また私がいた短期大学部は農家の子どもが多く、実家の農業経営について、農薬肥料について、鳥獣害の被害についてたくさん共有することができました。この繋がりのおかげで今でも全国各地に農業をしている友達がおり、収穫したら送り合ったりしています。

短期大学部で2年間過ごした後、農学部ではなく国際食料情報学部という学部に編入しました。ここでは国際的な農業問題、国内の農村地帯での問題、地域の女性や障がいがある方の農業活動などについて学ぶことができます。私がこの学部に編入した理由というのは、実家で障がいのある方を雇用していたからです。全国的にそのような雇用をしている所はどこがあるんだろう、どんな活動をしているんだろう、学びたいことがたくさんあったからです。編入してから大学卒業までたくさんのフィールドワークに行かせてもらいました。長野県の農村と協力して村全体の農業政策を一緒に考えたり、屋久島で自給自足の生活をさせてもらったり、栃木県で障がいのある方を雇用している農場にいったりと東京にいるからこそ全国に視察、研修に行くことが出来ました。

そして沢山の農村地帯で研修をしているうちに「実家の農業経営はもっとこうしたらいいんじゃないか」という思いが強くなってきました。全国を視察して、様々な栽培品目での成功例、失敗例を見ることが出来ました。これを実家に持って帰ればもっともっと良い物、良い経営ができるのではないかと考えるようになりました。大学時代の沢山の経験でが農家への大きなきっかけになったんだと思っています。

実際、就農してみてやはり思ったようには行かないことが多くありました。大体そうです。親との意見の食い違いなんか日常茶飯事だし、自分の知識の無さに愕然とすることも多いです。これからも親から吸収するものは吸収しつつ、自分なりの勉強を進め、地域の農家さん、全国の農家さん達との情報共有をしていきたいなと思います。全国の農家研修もまだまだ行きたいです。地域を代表する農家になれるように日々前進していきます。

今回は以上です。アザシタッッッ!!!!!!!!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?