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講師は突然に、、、(その3)

中間プレゼンの日がやってきた。

初回のプレゼンに比べると、だいぶみんな落ち着いて喋れている模様。

前回のプレゼンの際におもいっきり企画の方向性をやり直しさせた生徒もいれば、そのまま、突き進んでと伝えた生徒もいて、どうなるかなと不安と期待のなか臨んだ。

企画意図から逸れてやり直しさせてしまった生徒も一気に軌道修正してやり直し分を取り戻した印象だった。

さらに、個人的見解をすると、割と男子は自分のやりたいことに突っ走りやすく、ちょっとふるさとを置き去りにしてしまう傾向がある一方で細部の設定まで細かく企画する。

逆に女子は「ふるさと」と「やりたいこと」のバランスをとりながら、俯瞰しながら課題に向き合っている一方で男子のようにその企画に細かく設定を設けてない(中間だからまぁそれでいいのだが)。

という部分は最初の企画発表時のプレゼンと同じ印象をもった。

ただ、その両方を器用にこなしてしまう生徒もいた。

プレゼンも堂々としたもので、アウトプットも良い。1年生の中では頭ひとつ抜ける存在なのではなかろうか。と感心してしまった。

では、他の生徒が追いつけないかと言えばそうではない

むしろ、追いつくチャンス、追い越せる企画というものは全員にあると感じている。

1月末の最終発表では、アウトプットの質と量がものを言う。

どれだけ情熱を僕の出した課題に傾けられるかだと思う。1ヶ月かければ、なんだってできる。単純に、やるかやらないか。やりきった生徒はきっと就職活動にも良い効果をもたらすだろう。

逆にここで手を抜いてしまうと、それは2年生になっても手を抜いて、スカスカなポートフォリオになる。面接側からしたらクリエイティブにかける情熱の強さは一目、いや一瞬でわかる。どんなに内面に隠し持ってたものがあったとしても、「この人はこれだけのことしかできない。」で終わってしまうのだ。

自分には、たぶん、ぜったい才能がある

もし、そんな不確かで曖昧なものを頼りにしてる生徒がいるなら即刻、そんな思想はかき消して欲しい。

少なくとも僕もそう思ってた時期も20代はあったが、そんなものは幻想の中の幻想。

見るものを見て、見まくって、作るものを作って作りまくって、それでも上司に叩かれて、否定されて、また見るものを見まくる。ほんとにこれの繰り返しだ。ただ、愚直にこれを繰り返すしかセンスを掴む方法はない。

もちろん、言われたからと言って、ぼーっと見て、なんとなく作るのも愚の骨頂。

プロである以上、見るものから法則を見つけ自分の好きを見つけ、試行錯誤を繰り返す。

本屋の端から端まで本を抜いてはパラパラとみる。10冊見た中で1冊、あ、このデザイン読みやすいと思うものを見つける。それを20冊、30冊、100冊繰り返すと、最初の読みやすい1冊というのが実はありふれた中の中ということに気付かされる。

およそ15年前。専門学校時代のとき、プロデューサーの川村元気さんのお父さんである川村隆一さんの授業で言われた。

「なんでもいい。1本線を描くでも、映画でも本でも100回(100本、100冊)やってみなさい。100を終えた後には見え方が変わるから」

実際、川村元気さんのWikipediaにはこうかかれている。

小学校に上がると、毎週土日に父と名作映画を見続けるのが習慣となった。高校・大学時代にはレンタルビデオ店に通い詰め、ピーク時は、年500本を鑑賞した

圧倒的にやる。

濁ったものだらけの中から、選別してみえてくる上澄みの少量のきれいな部分、そこだけを丁寧に自分のツボに貯めていく。

この作業無くして、センスのいい仕事というのは生まれないのだと確信している。

そう振り返ると、今まで、勉強すればよかったと思ったことなかったけど、やってたらまた見えた世界は違うんだろうなぁ。


とも思いつつ、根本は人生すべて最良の選択をしている思想派なので、勉強してたらそれはそれで早々に挫折して、努力の行き場を失って自殺してたかもしれない。し、交通事故に巻き込まれてたかもしれない。

話は大きくそれたけど、やるのもサボるのも自由。

やったらやったでいい人生が待ってるしサボったって、結果いい人生は待ってる。

まだまだ19、20歳。勉強も遊びも楽しんでほしい。

良いお年を!!!

p.s 最近日曜更新忘れて月曜更新になってしまっている。自分の決めたことくらい守れないとなぁ。。。来年こそは!

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