医師の経歴と価値観と。


久しぶりのノート更新になりました。

今回は30歳も後半になりましたので、医師の経歴をまとめました。

自分は多面的な活動をしているので、医師はあくまで一面に過ぎませんが、一度振り返ってみようと思うきっかけがあり、まとめてみました。履歴書の拡張版だと思って見てみてください。

医師13年目、整形外科専門医です。

【経歴】
2004年 私立海城高等学校卒業
2005年 山形大学医学部入学
2011年 山形大学医学部卒業 医師免許取得
2011年 独立行政法人地域医療機能推進機構 埼玉メディカルセンター 研修医
2013年 慶應義塾大学病院 初期臨床研修医修了
2013年 慶應義塾大学大学病院 整形外科学教室入局
2014年 SUBARU健康保険組合 太田記念病院 整形外科
2015年 さいたま市立病院 整形外科 助教
2016年 医療法人社団 賢仁会 杉山病院 整形外科
2019年 イムス三芳総合病院 整形外科
2020年 練馬光が丘病院 整形外科
2023年 日本整形外科学会認定 整形外科専門医 取得

医局は慶應義塾大学病院です。医局所属時代は上肢班で、主に外傷全般の手術をメインに関節鏡、人工関節、脊椎症例の手術など含め年間約200件のペースで、幅広く手術を行ってきました。また後期レジデント初年度の派遣病院はドクターヘリの飛んでくる3次救急の病院でしたので骨盤骨折、開放骨折の対応や緊急創外固定、緊急アンプタ(切断術)などの整形外科救急診療の経験も豊富です。現在は退局し、主に骨粗鬆症や整形外科慢性疾患、最近ではエコーを用いたハイドロリリース注射に力を入れ、定期非常勤医師として日々研鑽を積みながら勤務しています。

特技ですが、消化器外科医師の父の留学について行き5年ほどアメリカに住んでいましたので、英会話が得意です。

元来海外に住んでいた経験があるのに加え、医局を退室してから医療関係者以外の方との交流が増えたのに伴い、やや典型的な医師の性格や価値観とかけ離れていると思います。しかしそれが自分の強みでもあると思いますし、自分で言うのもなんですが交流しやすいと思います。読書が趣味で、現在は音楽活動にも力を入れています。

※参考論文
・脊髄離断術後に脊髄摘出を2回施行した胸髄発生Glioblastomaの1例 (日本脊髄障害医学会雑誌 29(1)132-134)

自分のキャリアを振り返るのは自分の今後の身の振り方や価値観の振り返りになるし、いいですね。

学位や指導医、その他諸々を持っていないじゃないか、という先生はいるかもしれませんね。しかし医師業を全力でやり過ぎて心身を傷つけてしまった過去があるので、今のところ大きなきっかけがない限り、もう一度常勤医師をしたり、医局に戻って働いたり、学位を取得するために院に入ったりすることはないです。(また心身を傷つけるような状態になってしまうと収入が途絶えて自分を傷つけるだけでなく、家族や職場含め周りの人に迷惑をかけるだけですし、それは結果全員が不幸せですからね)

そりゃあ勿論、医師としての実積が多い方が、今後転職したり、非常勤先が無くなって再就職したりする時に当然有利でしょう。非常勤医師に参入してくる医師もどんどん増えるので、生き残りをかけた時に実積が多い医師が採用されるに決まってます。しかしこれらは対策が取れることであり、やはり実積を積むために前の生活(常勤医師、医局所属)に戻ることは費用対効果、リスクパフォーマンスなどを総合的に考えても低すぎる、というか大前提で「幸せではない」と考えています。

今後の自分の目標は「自分の同年代の誰よりも読書をすること」そして「まっすぐ自分の幸せとは何かを問続けてそのために必要なスキルを身につけること」です。解決方法は経済的な安定なのかもしれないし、好きなことを継続することかもしれない。いずれも、やり方は自分なりに既に答えが出ています。(ただ確実なことは言えないので今後も試行錯誤して挑戦していくつもりです)

あとは親や他人にどうこう言われた価値基準で生きることは今後はしないと決めています。他人の固定観念に囚われた意見でしてきた選択の数々が、今振り返ると大きく間違っていたな、後悔の一因になっているな、と思うからです。

今後は「自分で考えて自分の意志で確実に決めた」と確信がある、人生の選択のみを行なおう、と心に決めています、後悔の無いように。

小言臭くなってしまい、申し訳ありません。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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