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人生という真っ白なキャンバスに自由に絵を描く

『塗り絵が上手な子どもではなく、真っ白なキャンパスから彩りあふれる絵を描く子ども』

私は塗り絵が得意な子どもでした。

椅子に座り机の上には12色の色鉛筆。配られた塗り絵をお手本のキャラクターと同じようにはみ出さないようにきれいに塗っていく。
お手本と違う色を塗ろうとすると「そこはその色じゃないでしょ。同じ色を塗りなさい。」と言われる。お手本と同じようにきれいに塗れると先生が褒めてくれる。
もっときれいに塗れたら褒めてもらえる。もっと早く書いたら、もっとたくさん書いたら褒めてもらえるんだ。評価してもらえるんだ。

そう先生に評価してもらうことだけを考え、みんな前を向いて、静かに、同じ配色の色鉛筆だけを使って、お手本と同じようにきれいに塗ってきました
『右向け右』で一人でも左を向けば、もう一度やり直す。『みんな一緒』が正しいとされる。同調圧力。集団意識。

本当は「違う塗り絵がしたい。」「色鉛筆じゃなくてクレヨンで塗りたい。」そもそも今は「塗り絵がしたいわけじゃない。」そんな内なる想いもいつしかかき消され言われたことを言われた通りに100%できる人が評価される。

そんな教育を私たちは受けてきました。

そんな教育を受けてきた私たちは今、社会にでる狭間で言われます。

「あなたはなにがしたいの?」
「それじゃあみんなと考えてること一緒なんだよ」

ずっと言われたことをする。いわゆる引かれたレールの上を歩いてきたのにいきなり自分で道を作れと言われる。
あれだけ『みんなと一緒』が正義だとされてきた教育が、社会にでるにあたって『みんなと異なれ』と言われます。

社会を創っていくのは人で、人を創るのは教育であるはずなのに、社会に求められる人材とその人を形成する教育がなんだか矛盾している。

たくさんの教育機関を自分の目で見て感じ、義務教育を受けてきた今の学生と関わってきて感じたことです。

私たちの価値観・考え方(物事の捉え方)はこれまでの経験からつくられます。
そして、一度インストールされた価値観・考え方はなかなかアンインストールできません。

正直、高校生・大学生になってからかれこれ十数年間でつくられた土台を再構築するには難しいです。
だから、初めての集団社会、人間形成の土台づくりの小学生の時期の”教育”がもっとも大切だと考えています。

新型コロナウイルス、ウクライナ戦争、グローバル化、少子高齢化、情報化、技術革新
社会は目まぐるしく変化し続けています。子どもたちが社会に出る頃には私たちが想像もしていなかった時代になっていることでしょう。

そんな社会を生きていかなければなりません。

変化に対応し、新しい社会を創っていける人材が必要になります。

真っ白なキャンパスを持ってきてそこに自分で絵を描きはじめる子ども。
大きさも形も自由で、色合いも使う道具も技法も自由。
じっくり考えてキャンパスに向かう子どももいれば、周りの子どもたちの描く絵を見る子もいる。
丁寧な下書きを書いてから色を塗る子もいれば、すぐに筆を走らせる子どももいる。
一人で描く子もいれば何人かでこの絵を描きあげる子もいる。

だから今、教育が変わらないといけないんです。

人間誰しも生まれた時からもっています。
【自分から求め、自分で決め、自ら動きだす力】

ミルクがほしい時、おむつを変えてほしい時大声で泣く。
離乳食、ほうれん草は嫌いだから吐き出すし、にんじんは好きだから大きな口を開けて待つ。
お母さんが大好きで後を追いたいからずり這いができ、ハイハイができるようになる。
もっとドキドキワクワク自分の知らない世界を見たくて「だめ」「危ない」と言われたことにも手を出す。

そんな力を大人がいつしか抑え込んでしまっていたのかもしれません。

だから、私は子どもたちの生まれながら持つ【自分から求め、自分で決め、自ら動きだす力】を生かした教育を行なっていきます。

『はじめに子どもありき』大人が先導するのではありません。
子どもが求めてきたときにサポートするのが大人です。子どもと同じ目線にたち一緒に面白がり考えるのです。

でも、今の私に大きな力はありません。
けど、一人一人の意識の変革、行動の変革が必ずこの未来を変えます。

自由に生きるための教育です。
あと伸び教育です。小学生でしっかりと社会を生きる基盤をつくります。

まずは目の前にいる子どもたちから。
たくさんの愛で子どもたちを包みながら一歩一歩力強く歩んでいきたいと思います。

子どもたちが真っ白なキャンパスに彩りあふれる絵を描くことを願って。


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