居候のおーちゃん

昔、居候がいました。居候というと「転がり込む」ものと思われがちですが、私の居候は私が「うっかり拾ってしまった」という感じの人でした。当時、おーちゃんは心を病んで、うつ病のお薬を飲んでいたので、私は、うつ病の人が自殺するのを防がねば!「部屋が余っているから、うちにおいで。」と招いたのでした。

家に戻っておーちゃんの姿が見えないと「死んでしまったのでは?!」とうろたえ「おーちゃん!おーちゃん!!」と探したりしました。不在のことも多く、ある時は物置の中から「バ~!」と出てきたりして、今思えば私の勝手な取り越し苦労だったような気もします。

「眠れない。」とべそべそする割には、薬のせいか、盛大な鼾をかいて眠ります。うるさくて、私の方が寝不足になるので、部屋に行って鼾がマシになるよう横向きにしようとすると、パチリ、と充血した目をあけます。「眠れない。」と・・・。さっきまで寝てたやん!と言いたいのですが「うつ病の人が言うことを否定してはいけない。共感せよ。」と本に書いてあるので、ぐっとこらえて「横向きになるといいよ。」と言って部屋を出ます。

色々丸抱えだったので、私は体力的にも経済的にもしんどくなってしまって、職場の駐車場で「どうしたらいいだろう。」としくしく泣いたりしていました。私の方がうつっぽくなってしまっていたのでしょう。

あの時、おーちゃんを放り出さずに抱え続けたのは私の意思でした。私は、ずっと独りで自分勝手に生きてきたけれど、生涯独りでいることを決めていたわけではありませんでした。昔、テレビでおすぎとピーコさんが「一人の寂しさと二人の煩わしさを比べたら、私は一人を取るわぁ。」と仰っていたのを何故かずっと覚えていました。ふと、おーちゃんが二人の煩わしさを教えてくれているのかな、おーちゃんが居なくなると寂しいのかな、と思いました。ここでおーちゃんを放り出したら、私は生涯、一人の寂しさも二人の煩わしさも知らず、どちらを取るという岐路に立つこともなく、独りだ、と思ったのです。

その後、おーちゃんは元気になり居候ではなくなりましたが、途中から私は『うつ病ではなく、躁うつ病なのでは?』と疑っていて「そのお薬、合ってる?」と聞いたりしていました。おーちゃんは、当時のことを振り返るたびに「さこすけにうつ病じゃないって言われて、本当につらかった。」と私をなじります。私は、おーちゃんに色んなことを教えてもらったので感謝しているし、放り出さなくてよかった、と思っています。

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