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言の葉の庭 にみる村上春樹文学の要素

メタセコイアの針葉が真っ赤になり、そして散り散りになってアスファルトに広がっています。最近、飛行機に乗る機会があり、言の葉の庭を観ました。新海誠さんの作品を観たのは、君の名は。 以来でした。

新海誠さんは、村上春樹さんの文学作品を大学の頃から読み続けている、とインタビューで見たことがあります。

私も、村上作品が好きで、日本語・英語・ポルトガル語で文章の表現を楽しむのが趣味です。特に短編については、生涯何度読んでいるかわからないくらい染み込んでいます。

その目で、言の葉の庭を観ると、あぁ、この要素、村上春樹氏の作品から持ってきたのではないかな、という気づきがいくつかありました。同じような気づきをお持ちの方も多いと思いますので、こちらにメモしておきます。


雨やどり

雨やどりは、「回転木馬のデッドヒート」に収められている村上氏の短編です。雨の日に男女が出会うというモチーフが共通です。劇中の新宿御苑の東屋と、青山・表参道エリアのお店ということで雰囲気はもちろん違うのですが、例えば外国人から見れば東京のどこかで、雨にまつわる物語として類似点を見出されるかと思います。年齢がかなり離れている関係でありつつも、話が合う関係というところも共通点です。

言の葉の庭のエンディングは特に素晴らしいと感じました。

この”Rain”という曲を採用していることからも、やはり雨というモチーフを一番最初に置いて、作品を組み立てたとのだと考えます。

劇中の雪野が東屋で休憩しているのは、客観的に見れば人生における「雨やどり」と言えますし、この雨やどりという語感が監督の心に留まっていた可能性はあるかと思います。

人間の不完全性

劇中の雪野が、「人間の不完全性」を語る台詞が印象的で、「言の葉の庭」に出てくる言葉たちを代表する様なインパクトがありました。

村上氏のどの作品か特定はできないのですが、「人間は少しずつおかしくて、不完全な存在である」という基底的な表現は、様々な長編・短編で語られていることと思います。

窓、という村上氏の短編があり、「カンガルー日和」や「象の消滅」という短編集に入っています。青年時代の「僕」が手紙を介して、女性と交流するストーリーです。私は、言の葉の庭を観て、初めに、あぁ、この話は「窓」の舞台装置に似ていると思いました。

それまで接点のなかった、青年と成人女性の出会いという場面設定はこの「窓」と同じです。そして、言の葉の庭 の終盤に雪野が書いた手紙 ― この表現内容がとても印象的で、村上作品との類似点を見出せます。

略~ 
はやく本物の春が来るといいですね。
3月12日

窓 村上春樹

劇中最終版の雪野からの手紙はこのように締めくくられていました。

はやく暖かな季節がくると良いですね。
また、お便りします。
2014.2.3

言の葉の庭 劇中より

あくまで私見ですが、新海監督の村上作品へのリスペクトを感じます。

言の葉の庭、私は映画館で観たわけではありませんが、多くの方がスクリーンでご覧になった作品だと思います。

スクリーンもそうですし、飛行機のエンターテインメント画面もまさに「窓」であり、この小さな窓を通して素晴らしい体験をすることができました。

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