同等と言う意識

唐突ですが、黒柳徹子さんは動物と話すことができるという。
私は実はそれを狙っている。今はできないができるようになりたいなと思う。

それは単に動物と話せる特殊能力を持ちたいと言うのではない。動物とも人間ともみんな同等に話せるようになりたいのだ。

私が担当している一年生のある子は、人間も動物も同等だ。
先生たちの写真を撮りに回る時に、「生活の勉強で写真を撮らせてください」と言ってから写真を撮るのだが
亀も撮りたいと言って、亀にもきちんと「生活の…」と言って写真を撮った。彼にとっては亀も校長先生も一緒だ。強そうな上級生にも文句を言うときは遠慮せず言う。ただ一人大好きなママを除いては。

私はできるのか?
昔は全然できなかった。
先輩や先生を同等に見るなんてできなかったし、ただ自分が年下というだけで何も言えなかった。
それどころか年下の子にだって何か言われたら言い返すこともできなかった。嫌われたりいじめられたりするのがとても怖かったからだ。

最近はそれが少し言えるようになったというか、同等に見ることができるようになってきたと思う。
それは、子どもたちと接するときにその子たちを下に見るのではなく同じ人間として付き合うようにして、その関係を楽しむことができてきたのが大きいと思う。

この間、6年生の女の子に呼び出された。その子にはよく呼び出されるのだが、私に話を聞いてほしいのだ。今回は恋話だった。それは先生と生徒というより友だちに近い。私はそうやって話を聞けることがすごく嬉しい。もちろんタメ口。自分が元気をもらえるなとも思う。

他の子たちともなるべく目線を下して話をする。同じ目線だと相手と同等という意識がもてる。
同等なのでもちろん、こちらが言いたいことも言う。でも相手の言い分も聞く。そうすると相手もだんだん話しをしてくれるようになるのだ。

そんなことをしていると先輩や上司にも同等に物事を言えるようになってきたから不思議だ。
もちろん全部の人に言えるかと言うとそれは自信がない。特に嫌われたくないと思っている特別な人にはやはり考えてしまう。

でも昔の自分を考えたらすごく変わったなと思う。
それは、人に嫌われたくないと言う思いより、自分が良いと思うこと、自分が目指していることを大切にしたいという思いが今は強いからだと思う。
そう思う方が、生きやすいし、しっかり生きている気がするからだ。

そして人と関わる、いや人や動物と関わるときにたくさん楽しみを見つけたいと思う。

動物と話せるようになったらもっとその楽しみが広がるだろうなと思う。
家によくくる猫やリスや鳥たちと友だちになれたら、嬉しいなと思う。


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