サロンコンサートとアザミの花

道端にアザミの花が咲いていた。アザミはひと気のない道路ぎわに咲いていることが多い。菊科の花といえば、和風な花と想像するが、西洋的なミシンの針のようなトゲがあり、迂闊に触ると痛い目にあう。根っこは山ごぼうとして、漬け物になるが、山ごぼうは、微量に毒もあるので、気をつけなければならない。建設予定の看板はここ数年変わらず、荒れ地には野アザミが咲く。

突如、院内サロンコンサートを開きたいと相談を受けて、そこで改築を機会にグランドピアノを導入したらどうかと提案したら、置かせていただくことになった。このご時世だから、いろいろ思うことがあったそうで、ホスピスとは、おもてなしなんだと改めて思った。枯れ木に花を見せるのも医療の務めらしい。一枚の葉っぱの絵を描き、見せることが、誰かに希望を持つことにつながることもある。そんな物語ありますね。やるな、院長。どんなコンサートが開かれるのか、かなり、楽しみです。

例えば、SNSを活用して、いろんなショールームと院内を繋いで、いろんなピアノや楽器の音色を楽しむ、そんなことができたらよいな、と、思う。中には、外出が難しい方もいらっしゃる。

体調を崩して通うのが、病院なんでしょうが、予防歯科のように、あそこ行くと元気になるんだよね。という、ホテルのような活用をしてもいいのではないかと思う。

体を診てもらい、食事をして、音楽を聴いて、少しだけ軽くなって帰る。そんな通院の仕方をしてもよいかな、と思う。人間ドックに入るとラグタイムの大事さに気づく。次の検査まで、少し休んで、カウンターで水を飲む。そして、次の検査へ。自分の体と向き合う時間。

年齢を重ねれば重ねるほど、身体についてメンテナンスに時間をかけなけなければならない。休息に時間が必要。

森下洋子さんが踊り続けていらっしゃるのは、とても励みになる。羽が生えてるんじゃないかと思うほど、重力を感じさせないジャンプや回転に驚く。人間には重力はつきものなはずなんですが、重力を感じさせないために、どれだけ、無駄な動きを省き、自分の身体を知っているか、尋常じゃない練習量があるはずなんですが、まるで苦悩を感じさせない。異世界へ連れていってくださる森下さんが面白いと思うのは、クラシックのみならず、モダンも踊ってしまわれること。みなぎる笑顔には、それを裏付ける練習があるからではないかと思います。練習には発見があるから、楽しくてしょうがないとおっしゃる。なかなか練習を楽しいとは言えないものです。

とあるダンスレッスンで、アイコンタクトから始まる振付なんですが、最後に、振付を確認する際、薄く目を閉じて踊る、完全に目を閉じて踊るということが行われました。目を閉じて踊ると、相手の間合いがはっきりとわかる。相手を目視し過ぎてはいけない、確認し過ぎずては、くどくなる。目を開けて踊る時も目を閉じている時と同じような間合いでさりげなく踊れたら良いなぁと思いました。

風に舞うほこりの粒子により、フィルムに映るものも違ってくる。ってことは、吹いている風や光によって、目に写る色も違って来ます。

beyond the musicを聴いていた。どんな社会に文化は生まれるのか、それは、中高の社会科の教科書からも紐解くことはできますが、教科を越えて、音楽を捉えることは、社会と対峙することに匹敵するのではないかと思う。特に中高生は、聴いて欲しい番組です。

どうやら、フーリエさんは素敵なおっさんらしいので、フーリエ変換について、調べなければ、と調べていたら、B.C.時代から変わっていないようなことだよ、と息子に嗜められる。やれやれ。強烈なサイン波には、フーリエ変換が必要です。






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