記憶の行方#道草

感染症が流行り出す前に、久々に有給とり、「沈黙」の舞台になった場所へ行ってみた。

映画も原作の小説もいたたまれなくなるが、「沈黙」を感じたく、行ってみた。長崎の海岸線は、やたら長い。サイクリングもドライブも楽しい。

徳田ミゲルの墓石は、段々畑の中にひっそりたたずみ、隠れなければいけないってなんなん、人知れず過ごした日々と、歴史を見つめた。

東山魁夷が描いた紅葉の景色と同じ角度で見た山の景色は、旧鉄道跡地にあるのですが、一方通行で、車では入れなかった。

宮崎康平がいつか、町全体が卑弥呼の墓なんでは?といった町では、三池炭鉱の炭坑節が聴こえて来そうな堀の深い港から、天草行きの船が出ており、東京2020の聖火ランナーのリレーの場所が整備されようとしていて、子どもが走る姿がなくなった学校の校庭は、そのままだった。

山並みを左手に、100万ドルの夜景ではなく、太陽はこんなに白かったのか、白銀ってきっとこのことだ、と色の認識がぶれない晴れた白昼の海岸線をひたすら走り、FMからは、スピッツが流れてきて、90年代か?!タイムカプセル開ける気分になりつつ目的地にたどり着いた。

季節外れの観光客が珍しいのか、エコカーを駐車場にとめると、やたら、その周辺のおばさま方に話しかけられた。

新参者が住むには、きっとハードルが高いんだろうな。

緑の山と見えたところが、原城跡地だった。

この断崖から船を出し、夜のうちに壱岐、対馬や五島列島に渡ったのかと思うと信念を持って生き抜くことがどれほど大変なことなのか、胸が痛んだ。抵抗も逃亡も時には肯定すべきことかなと思う。

山並みを歩いてみると、よくわかる。じゃがいも畑とねぎ畑が並んでいた。肥沃の土とは、言い難い。同時、米がどれだけ獲れたのだろうか。

所々に残る石、大砲の跡が残っており、本当にあらそいがあったんだと思い知った。日焼けしたガイドのおばさまに、「歩いてきたん?」と話しかけられる、シャトルバスあるよ、と教えてくれた。存じております。初めて会うのに距離が近い。しかし、そうやって、毎日、歴史遺産の中で、誰かに話しかけているんだな。VR体験もできたが、目視でそこは、みたいんだよ。何が起きて、今は、緑の山間に何があるのか。

海を眺めて入れる温泉から、シャトルバスが出ているが、山の形状を歩いて確かめたくなり、レンタサイクルで、乗れるところは、乗って、後は歩いてみた。民家の合間にある、跡地には、抵抗の痕を残しつつ、段々畑で畑を耕す人、干し柿を干す人、漁船から港へと帰ってくる人、魚を待つ、丸々と太った猫、クリーニング屋の車が走り、近くの幼稚園では、園児たちの歌声が響く、地域の駅伝の旗がはためいており、川の水は、砂の砂鉄が見えるほど透明で、道端には、多年草のタンポポが咲いており、春は告げられた。アザミの花が咲いていたはずが、誰かに折られて花は持ち去られていた。道草に持ち去られたと思いたい。

ほんのり、潮風が吹いていた。

ほんの静かな営みの風景。

もしかしたら誰にも知られない一生がある。

あの風景を忘れないでおこうと思う。



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