記憶の行方S2 小さな出来事 ロケハン

ちょうどその頃、わたしは、八百屋を退いて、どうしようかとぷらっと、映画を観に行っていた。

その映画のタイトルは、忘れてしまった。よく、八百屋には、映画を撮っているんだと、黒い服を着た人がやって来ていた。白い服を着ると光が反射するので、フィルムに映るものを明確にしたいため、なるべく、黒い服を着るらしい。

いつも5〜6人でうろうろしては、ここがいいんじゃないかと、まず、撮る場所を決める、ロケハンというものをする。ロケハンとは、ロケーションハンティングの略なんだそう。

へえーへぇーと、映画作りの段取りを店先で聞いていた。完成したから、試写するから、観に来てというのだから、観に行ってみるかと、観に来たは、いいが、正直よくわからない。

撮りたいものは、わかるが、つまらんぞ、とは、言い難い。面白いところもあるけれど、なんか、もやもやする。

そんな感想を飲みながら、話をしては、遊んでいた。

こどもは一緒にその場でシャボン玉を吹いたり、走ってみたり、ゾンビに扮したり。

ごっこ遊びの延長と思えば、微笑ましいが、側からみたら、ずいぶん、おかしな大人たちだ。

カメラをどの位置にするか、人はどこから、歩いてどこまで、行くのか、どんな言葉を発して、何を描くのか。

人が人と出会って、どのように変化していくのか、それが、ドラマ。らしい。

主人公が人間であることばかりではなく、うさぎであったり、掃除機であったり、はあ、なるほど、視点が変わればこんなに物語も違うものか、と、今なら言語化できるが、当時のわたしには、話を聞きながら、わけがわからず、主観以外に何があるの?そう思っていた。

「バックトゥーザフューチャー」や「酔拳」

みたいな映画ばかり、観て来たので、イメージばかりがフィルムに映ったもの。アクションを延々と、演出について熱く語る監督の声を

わけわからずながら演出について、ひたすら聞いていた。監督の撮った映画はキテレツSF映画で、何を撮るかは、どうやら、監督次第らしい。

しかし、しゃがんで、猫ぐらいの低い姿勢で、夕陽と玄関先を見つめる目は、何を見ているのか、気になった。

それから、一年程経った頃、ピンポーンと、家の呼び鈴がなった。

4人の人が玄関先に立っており、あの監督と、知らない顔の3人がいた。

聞けば、ロケハンしているという。

ひたすら、わたしたちは、歩いていた。

風景は、物語の背景を表す大事な演出の一つらしい。

この辺りは、よく、僕も歩いてね。以前、広告の会社に勤めていて、よく、バイクで通った道だよ。

監督の記憶をたどりながら、歩いていた。わたしの今と、クロスするのは、時間のみ。

何を撮ろうとしているか、わからないけれど、どうやら、この人は、自分の全てを掛けて、何かをしようとしているのだと、歩きながら思った。

ひとまず、普段、歩いている道なりで、構図の美しいところ、と、思う道なりを監督と演出部と撮影部と制作部とともに歩いて紹介していった。

散歩が役に立つこともあるものだ。

そうして、1日が終わり、4人を駅まで送り、駅近くの劇場のフライヤーコーナーを見て、面白そうなものを手に取り、帰り道。飲み屋の店の外に椅子を出して、監督と撮影監督が呑んでいた。

監督と目が合って、会釈をしたら、手をこっちこっちと振るので、すーっと近づいていくと、

「まあ、座ってよ」

というので、はい。と、座ったら。

撮影監督が

「N君がね、学校に天才が1人いるっていうだよ」

といった。

「へぇー。天才ですか、会ってみたいのものですね」

監督も撮影監督もじっと、わたしを見て、笑っていた。

N君とは、八百屋を辞めた後、暇を持て余し、退職金を使って、夜間の映画学校に通っていた時、よく同じチームで実習していた同期だ。

製作のために、連絡用として、ブログを作って、日々の記録をアップしており、ほぼ、わたしの日記になりつつあり、それは、後、読み返してみたら、制作日誌みたいなものになった。

「あの制作日記、面白いよ」

監督は笑っていた。

「スタッフが足りなくてね」

撮影監督が一杯のビールを飲み干した。

後、プロデューサーから聞いたことは、すでに、その頃、監督の癌は、進行しており、記憶が曖昧になっていたそうだ。

記録を記すのは、進行状況がわかるように実況中継するようなもので、チームに並走する応援のひと、オブザーバーみたいな立場で書いていた。

なんせ、前職、八百屋ですから、野菜か畑か、お客の顔しか見ておらず、映画もろくに観ていないのに、映画作りに関わるなど、思いもしないわけで、しかし、何やら面白そうだな、と、思っていた。

撮影監督が2杯目のビールを飲み干した。

家族について、震災について、あれこれ、監督と話していた。撮影監督は何も言わず、ひたすら飲んでいた。

「明日から来て」

監督は俯いて笑った。

桜の花が散り、新芽の緑が芽吹く時、ハイエースを運転して、地方の田園風景を眺める旅が始まった。






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