記憶の行方S6 小さな出来事 ダンモ
わたしは、20代初めに卵巣を良性の腫瘍の手術のため片方無くし、それまで楽しく過ごしていた方とは、なんとなく疎遠になり、女性として、何も産み出せないだろう、と、思っていた。
何か、生み出せる創作の場所に身を置いておきたいと思っていた。単純にものが作られる場所が好きで、ラジオ番組の制作の仕事は楽しかった。音源探しやゲストにお茶を出して、時々、苦い抹茶ケーキを作って差し入れするのも、ディレクターと台本を考えるのも面白いことだった。
いつか、夜中にコースターに電話番号を書いた酔いどれのサックスプレーヤーが、
「ヨーロッパツアーに行くので、その前にご飯食べませんか?」
と、電話をかけてきた。聴くのが好きでラジオの仕事をしていたので、ヨーロッパツアーの話は魅力的で、話を聞きたいとランチの約束をした。
スーツ姿で登場した酔いどれさんは、案外、真面目な人で驚いた。
話を聞けば、Kさんも所属していたモダンジャズ研究会(略してダンモ)にいたそうだ。中学生の頃は吹奏楽部で、毎朝3キロ程走って、クラリネットの朝練をしていたそう。
しかし、コーラスで呼ばれて行った、アルバム制作中のスタジオで、バンマスには、サークルの部室で、女性に刺されたことがある人、それが酔いどれさんで、あいつには、気をつけた方がよい。と、聞いていた名前で、プライベートでは、近づいては、いけない人だな、と思っていた。
ヨーロッパツアーかぁ、しばらく会えないかもしれないなぁと、妙にせつなくなっていた。あの音は聴けなくなるのだろうか。日本に戻って来ることもあるので、そんなことはないのだけれど。
あの音は、確かに人を元気にする。そう思っていたのは、わたしだけではなく、メジャーなレーベルから、盤面が出ることが決まっていた。酔いどれさんは、昼間は酔いどれではなく、こんな曲好きなんです。と、好きなことを語る素朴な音楽好きなジャズメンだった。わたしは話を聞くのが好きなので、ふんふんと、聞いていた。
そして、酔いどれさんは、急に黙りこくり、ウィスキーを一杯呑んで、間を置いて、
酔いどれさん「あの、ぼくのこと、どう思いますか?」
わたし「カッコいいし、面白いと思います。」
素直にそう思ったので、そう伝えた。
酔いどれさん「ヨーロッパに来ませんか?」
わたし「いいですねぇ。ヨーロッパ。夏休みが取れたら遊びに行きたいです。」
酔いどれさん「いやぁ、あの、その、僕と一緒に」
わたし「え?!……ちょっと意味がわかりません。仕事ありますし。」
酔いどれさん「Kさんは、確かにいい人だ。僕も知ってる。けれど、あなたは、幸せになれないと思う。」
わたし「余計なお世話です!なんでそんなことあなたに言われなくちゃいけないんですか?」
店員さんがやって来た。
店員「お静かにお願いします。」
わたしと酔いどれさん「居酒屋で静かにって何ですか?」
そこは、意見が一致した。
わたし「出ます。帰ります!払います!」
わたしは、レシートを手にしてレジへ向かった。
酔いどれさん「すみません、ぼくが誘ったので、ぼくが払います。」
わたし「いいえ。自分の食べた分は払います。」
酔いどれさん「さっきのことは、唐突過ぎました。」
わたし「ええ、そう思います。」
酔いどれさんは、並行して歩いてついてきた。
酔いどれさん「すみません。失礼なこと言って本当にすみません。友だちになって欲しいんです!」
わたし「中学生じゃあるまいし!何言ってるんですか?!」
Kさんとは、穏やかな生活を続けていたのだから、それを壊されたくないと思っていた。酔いどれさんが、夜中のテンションとは違い、あまりにも真面目なまなざしで戸惑った。
タクシーを拾って自宅へ向かった。
二度と会わないだろうとタクシーのミラー越しに困った酔いどれさんの顔を眺めながら遠ざかった。
♪wonkのsmall thingsを聴いて物語を書いています。オチはまだ見えません……。
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