「推し、燃ゆ」を読んだ話

宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」

完全に”推し”の文字に惹かれて購入し、
普段全くと言っていいほど本を読まない私が
没頭して読んでしまいました。

推しを持つ私に直球で刺さる表現、
今まで言語化できなかった表現、
そして、要所要所に散りばめられた
色んな物事への繊細な描写。
たしかに、推しを持つと色んな物事に敏感になるなぁと。そんなところにも、共感しました。


読み終わった後、
一番最初に込み上げた感情は、苦しい。
でした。


と同時に、
この本は"推し"についてきちんと考える
きっかけを与えてくれました。


このタイミングでこの本に出会えて良かったと、
心から思っています。

そんな「推し、燃ゆ」を読んで感じたこと、
思ったことを残しておきたくて、

➀ 青
➁ 推しとわたし
➂ 推しが燃える

の3つに分けてつらつら綴ります。



➀ 青

芸能界を引退した推しを、

推しは人になった。

と表現したあかりは、それを実感した時、
荒れた部屋に綿棒をケースごと床に叩きつけた。
そして、
四つん這いになって綿棒のケースを拾う描写。

その描写が
なんだかとっても苦しかった。

推しがいない世界でなんて生きていけない。
でも、這ってでも、生きていくしかないんだ。
と悟った気がした。


アイドルとして輝いていた人が、
自分からその看板を外したことで、
人になった。

と言う表現は、妙にしっくりくる。

日々、アイドルを推す中で、
どうしても、
同じ人間であることを忘れがちに
なってしまう。

知らず知らずのうちに期待をし、
知らず知らずのうちにいろんなものを
望んでしまっている。
気がする。

"アイドルとして"一番輝く方法を
常に考え、私たちに見せてくれる彼らが、
普通の人になりたいと願う。

推す側にとって、
推しが人になるところに直面するのは、
正直苦しい。

推しを人として好きだったはずなのに、
苦しい。

その気持ちが痛いほどわかる。
だからこそ、
推しが"人"になりたいと願い、
それに直面したあかりが取った行動に、
胸が苦しくなると同時にハッとさせられた。



本の栞の青。

どのページに差し込んでも推しがいる。
どの場面を読んでいても垂れ下がるしおりが目に入る。

本体の
カバーの内側に隠された青。
本全体を包み込んでいる青。

青は、あかりの推しの担当カラー。
この小説の1ページ1ページがあかりの人生ならば、
その節々で彩りを与えてくれたり、
その人生ごと包み込んでくれる存在が推しなんだと思う。

あかりの生きる世界は丸ごと”青”の中にある。

綿棒を拾い上げて終わるこのお話、
そして本を閉じるときに見える"青"

あかりにとっての"青"で満たされた人生は
本を閉じたときに終わったのだと思う。


青い人生を終えたあかりは、
何色の明日を描くのだろう。


➁ 推しとわたし

アイドルとの関わり方は十人十色。

この世に同じ人がいないように、
推しの推し方はまさに十人十色。
私はどんな推し方をしているんだろう。

少しだけ、
推しとわたしのこれまでを振り返りたくなった。


小学生の頃、
テレビで見た推しは、真っ白な制服を着ていた。
初めてだった、体全体が惹きつけられるような、
四角い画面に吸い込まれてしまいそうな、
あの感覚。


使い慣れないパソコンで名前を検索し、
テレビや雑誌を追うようになった。


そして初めて、
CDというものを手に取った。


なんだか照れ臭くて、
デッキのスピーカーに耳をくっつけて
夜な夜な聴いていた。

知らぬ間に、好きになっていた。

それから夢中になって応援するようになった。


部活に明け暮れた中高時代、
楽しい時も、苦しい時も、
そばにいてくれたのは推しだった。


友達と本気で喧嘩をするきっかけを
与えてくれたのも推しだった。


受験勉強中、
なかなか結果のでない暗闇の中で、
前に進む力を与えてくれたのも推しだった。

生きていたくない、
と思うことがあっても死にたいと思わなかったのは、推しの存在があるからだった。
推しの明日が見たいからだった。

20歳超えたらさすがに降りてるだろうと
友達と笑い合っていたのに、
気づけば23になっていた。

そしてきっとこれからも、私は彼を推し続ける。

私にいろんなことを教えてくれて、
いろんな感情をプレゼントしてくれた推し。

わたしは推しに想いを馳せ、
出る番組は全て観て、
CDやDVD、雑誌やグッズにお金を落とし、
ライブに当たった時にはもう、狂うほど喜ぶ。

認識されないとわかっていても、
ライブに行くことで推しに”会う”からと、
担当カラーの新しい服を買い、
担当カラーのネイルをし、
きちんとメイクをする。
目が合った、手振ってくれたと泣き叫び、
自意識過剰だなんてどうでも良くなるくらい
幸せになれる。
そもそも、あの空間が日常を忘れさせてくれる、夢の空間なんだ。
事あるごとに推しに感謝の気持ちを述べて、
推しを介して出会ったみんなと、
ひたすらに愛でる。

その時間がたまらなく楽しい。
見返りなんて求めずに一方的に愛を叫ぶ。
叫ばせてもらっている。

これからもずっと、
ステージ上で輝く推しを応援し続ける。

アニバーサリーツアーに参加して、
そう確信した。

その矢先、
"必ず見てくれるあなたへ"
と言葉を紡いでくれた。

そこには、今までの伏線を回収するかのような愛のこもった言葉が並んでいた。

あれは、気のせいじゃなかった、
自意識過剰でもなかったんだ。

それから一年かけて、
"必ず見てくれているあなた"である
"俺のファン"に向けて言葉を重ねてくれた。

いつもの、
繊細で柔らかいことばとは違う、
少し強引で熱のこもった言葉たち。

いつものように彼の言葉を感じに、
たくさんの人に紛れていたら、
壇上から目の前に降りてきて、
強引に手を引かれるような、
そんな感覚だった。

あの発表があってからの1年間、
自分のファンを
独占欲剥き出しの言葉で繋ぎ止めた。

他の誰でもない、
自分のファン、一人一人に向けて。

離れられるわけがなかった。


推しは私の人生を彩ってくれる。


見た目はもちろん、少しの動きや仕草、
歌声や歌い方、話し声や話し方、
視線や瞳、そして、紡ぎ出される、
繊細かつ柔らかで熱のこもった言葉。
その全てが愛おしくて尊い。
全てを感じ取りたい。

あかりと似ているところだな、と思った。

わたしは推しが見てる景色が見たいんだ、と。


➂ 推しが燃える

私の推しが燃えたことは、ない。
わたしの感覚上。
でも、同じグループのメンバーが
燃えたことがある。


この本を読んでいて蘇った記憶があった。

数年前、彼の担当をしていたフォロワーさんが荒れていて知った、とある記事。

その記事がきっかけで、
わたしの記憶では、相当、ネットが荒れていた。

そして挙げ句の果てに、
忘れもしない、とあるライブの開演前。

無数のカメラと痛々しい光の前で
謝罪していたあの顔を、表情を、
今でも鮮明に思い出す。


"推し"ではないにせよ、
"好き"な人のそんな顔を見ているのが、
目を背けたくなるほどに辛かった。

彼も、彼を推しているたくさんの人も、
幸せになってほしいと、
願うことしかできなかった。


2年前、休みたいと考えた事実を聞いた時、
もしかして。と思ってしまった。

そしてその時期がぴったりだったことが、
苦しさを加速させた。

もちろん、真相なんてわからないけどね。


誰かを推すことは、時に残酷である。
と思う。
それは、推しにとっても、
推す側にとっても。

気持ちが分かりたくても、
100%理解することは、やっぱりできない。
推しの幸せを願っていても、
実際直面すると、苦しくなってしまう。
想いを伝えたくても、
それは時に一方的な押し付けになってしまう。

推しの幸せを、
みんなで一緒に願っていたはずなのに、
推しの笑顔を、
みんなで守っていたはずなのに、
次の瞬間にはみるみる壊れていく、こともある。

〇〇担にしかわからない
他担にはわからない。

時にそんな言葉も飛んでくる。

たしかにそうかもしれない。
その人を推している人にしかわからない気持ちも、あると思う。
だからわたしは、その言葉は否定しない。
そんなことない、なんて言えない。

だってあなたには、〇〇くんがいるでしょ。

たしかにそう。
否定はできない。

"推し"の定義づけって難しいけど、
推し方は十人十色。
他人がそれをとやかく筋合いはない、と思う。

好きな人と、
好きなように、
向き合えばいい。


あなたの思うようにいてくれたらそれでいい。それだけでいい。

この、推しからの言葉を胸に、
これからもわたしは自分の思うように、
推しを、推す。


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