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NPO法人で働いたら、夢がかなった話

自己紹介

ずっと文化祭みたいにしてるね、ってよく言われます。
しかも、大道具とかチラシ刷ったり裏方のほう。裏方って、当日は結構暇だったりしますよね〜

うちだと言います。
高校時代は吹奏楽での演奏よりも、演奏会の衣装を縫ったり、文化祭前日にクラスの演劇のポスター描いてた記憶の方が深く刻まれている。
大学は普通の四大だったので、何か作らせてもらえると聞いたら覚えたてのフォトショが入った重たいMacbook proを担いで、色んなところに行っていました。

大学生で出会ったNPO法人モンキーマジックを手伝い始め、会社員6年目となった今でもプロボノスタッフ(専門性を生かしたボランティア)として働いています。

プロボノって原始人みたいで語感がかわいいですよね。
「公共善のために(pro bono publico)」というラテン語が語源らしく、より格好いい。最早その一点でスタッフを続けている気がしています。

経歴

私がラテン語などに惹かれるのは、恐らく新卒で高校の公民の講師をしていたことによるもので、その時に読んだプラトンやカントなんかに今でも影響されています。

実際のところ講師は、就活がわけ分からなくなって選んだ道でした。できることはある気がするけど結局何も選べずに、私は恩師の言葉に従って、私立高校に勤めました。

高校生はエネルギッシュで尊かった、講師の仕事もすごく良かった。
でも、諦めきれない何かがあって、ちょうど人手不足だったNPOモンキーマジックに、正式に広報スタッフとして関わり始めました。

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それからは平日は学校、夜や週末はSNSを更新したり、プレスリリースを書いたり、イベントのチラシやバナーの制作を任せて(※注 他にやる人がいなかった説もある)いただいたり。会議に遅刻、メールを溜める、Twitterを凍結させるなど今までに失敗もたくさんありました。その中で、某有名アウトドアブランドと毎年作っているTシャツのデザインができていく過程を見たり、憧れのgroovisionsの方にもお会いしたりしたこともありました。

転職

そうして3年が経つ頃、転職活動を開始した私は、無事東京の制作会社でWebデザイナーとして働くことになりました。完全に実務未経験でしたが、エージェントの力も借りつつ無事転職できたのは、このNPOでしてきたことをポートフォリオに載せられたからです。ほんと足を向けて寝られません。

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私にとってNPOモンキーマジックは組織で働く、という練習の場だっただけでなく、「デザイナー」というものになることに対しての順路だったようです。「だって美大出身じゃないよ」という事実より、荒削りでもとにかく世に送り出したものたちがあって、夢に挑戦するパッションを心に準備するのに必要だったようです。

そして、仕事を通じて出会う人だけでなく、一緒にモンキーマジックで働く人々も面白い人が多い。中途の視覚障害者でじっとしていられない世界チャンピオンの代表や、スタッフの面々。専門性はレクリエーションやエンジニアリングや、営業、法務、マーケティングなどバラバラの人たちにフィードバックをもらったり、知識を授けてもらったり、ちゃんと一員と認めてもらえたりしたことはすごく刺激になりました。

デザイナーをずっとやるかは正直分かりません、一生堂々と名乗れないかもしれません。子どもの夢は叶えるのが大変だけど、大人の夢は叶ってからが大変なようです。今はどうぶつの森でドット絵を描きながら、どんなキャリアを描こうか少しずつ考えることにします。

まとめ

プロボノでNPOで働くと良いこと

・本業以外の表現が試せる
「そういえばこういうのをやってみたかった」というのをある程度自由度高くアウトプットができるから、経験が増える。

・色んな業界の社会人との交流
会社に入ると意外と他部署の人がどんな話してるかわからないもんですね。今でもすごく刺激になる。

いつも文化祭気分
本業とプロボノのお仕事があると、いつもなにかが「リリース待ち」をしている。自分が社会でどんなことしたいだろう?って意外と本業だけだと考えないかもしれない

プロボノでNPOで働くと悪いこと

・週末があっという間

現場からは、以上です。

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