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作家性の観測 久湊有起インタビュー

文学フリマ東京38にて頒布予定の合同誌「Quantum」では、「小説を書くときいったい何が起きているのか」をテーマとして、掲載作品それぞれの書き手にインタビューを行いました。今回は『アドラルトクについて』(久湊有起)についてのインタビューを公開します。

久湊有起『アドラルトクについて』の試し読みはこちら。



インタビュー

執筆プロセスについて

――最初に久湊さんが作品を、具体的にどういうプロセスで書いているか、デバイスも含めて手順・プロセスを教えてください。

久湊:前提として執筆期間とかそうじゃない時間も含めて、何かしら見たり聞いたりとかして、何かしらの着想を得られそうなもの、インプレッションの種みたいなものが発生した場合に、iPhoneの純正メモアプリにメモするようにしてます。

――普段からネタ集めしてるってことですね。

久湊:そう。元々は紙のメモ帳に書いてたんだけど、すぐ手元に出ないじゃないですか。探してる間にメモすることを忘れたりとかするから。それで携帯の方がいいかなと思って携帯のメモに書いているというのが、アイデアの収集方法です。
今共作のほうを書いてるんだけど、こういうタイミングで執筆期間に使えそうだなと思うものを、そのメモから探すような感じになることが多いです。

――割とその場で考えるんじゃなくて、もともと温めていた色々なアイデアがあって、そこからピックアップすることが多いんですね。

久湊:いつもそんな感じですね。ただ何がどれに使えるのか、全くわからない状態でメモしているので、毎回メモ帳を見て、使えそうなものを拾っていくことが多いかな。

――使えそうなものを拾っていくっていうのは、制作段階でメモ帳を見返すということですか?

久湊:そうそう。書こうと思ったときに、そのメモ帳の箇条書きの中で一番ホットなやつというか、軸になりそうなやつをピックアップするわけですね。それに肉付けするアイデアも同じメモ帳の一覧から出てくる。あと書いているうちに出てくるものも当然あるけど、だいたいはメモの中から見つけてくるかな。

――その軸となるアイデアってどういうものですか?文章の形なんですか?

久湊:見せた方がいいかもしれない。
こういう感じで、全然まだ何にもなっていないものも全然あるんです。

メモは単語・文章・シチュエーション問わず、とにかく書いておく

――本当に断片的な感じなんですね。「みんなで育てるYouTuber」とか気になりますね。

久湊:こんな感じで種があって、大体メモにバーッとまとめて、書くときに拾ってくるみたいな感じ。
あと新しくメモを立ち上げているとメモした時期がわかるので、この時何考えてたのかなみたいなことも、手繰り寄せながらアイデアを拾っていくみたいなことが多いかなと思います。

――なるほど、割とそのライブ感というか、唐突に出てくるものっていうのをメモする感じなんですね。

久湊:そうだね。面白そうな事件だったりとか、急に思いついたりとかしたこととかをメモするという感じですね。

アイデアの「面白さ」とは何か

――もう少しそのアイデアのところ深掘りしたくて。今「面白そう」という言葉が出ましたけど、そのアイデアの「面白さ」は久湊さんの中では何なんでしょう?これ、いいアイデアだなって思うのはアイデアにどういう特徴があるときですか?

久湊:多分すべての「良いアイデア」に完全に共通するものは一つしかなくて、それはその「面白さ」の理由が説明できるか否かなんだよね。で、説明できない方が面白いなと思っちゃう。「これがこうだから面白いんだこれは」と説明できないということ。例えばレギュラーっていうお笑いコンビいますよね。西川くんがカーってなっちゃうやつ。

――ヤバい知らないかもしれないです。

久湊:マジか。ジェネレーションギャップしんど。
まあいいや。そしたらなんか好きなお笑い芸人言ってくれる?

――ナイツとか結構好きですね。

久湊:ナイツね。あれは例えば、ボケが畳みかけられているところが面白いっていう見方もできるじゃない。塙がボケるのに対して土屋が、塙が一切レスポンスしないのに、ずっとツッコミを入れ続ける。ボケとツッコミが交わらずに畳み掛けられていくみたいなところが、面白い理由の一つなのかもしれない、というふうに分析することもできる。「あれはこうだから面白い」ってなんとなく言うことができて、それが自分の中でストンと落ちるなら、それは面白いけどそんなに深みがあるものではないという感じなんですね。
あいや、ナイツが面白くないっていう話じゃなくて。僕も結構好きだし。

なんか面白いなと思ったけど、なぜ面白いかの理由が説明できなければ、アイデアになるって感じ。

――「深み」と言ってましたけど、アイデアの深みと作品を書くことが、直接関係してるって感じがするんですか?

久湊:そうだね。だから「なぜこのアイデアが面白いのか」っていうところを探しながら書いてるみたいな節もあるかもしれない。

――逆にアイデアの面白さが分析できてしまう場合は、作品自体が書けないっていう感じになりますか?それとも書いても面白くない?

久湊:面白くない場合はまずメモに落とし込まれないから種にならない。だからそれを使って書けと言われない限りは書かない。今まで書いたことないんじゃないかな。そういう特定のお題で。


――もう少し具体的に聞きたいんですが、今メモにある例とかでなんとなく面白さを感じるっていうのを説明できますか?

久湊:例えば今回の「アドラルトクについて」でいくと、最初に「子午線を跨いだ二つの島」というアイデアがあったわけですよね。これ知ったきっかけは、暇だったときにGoogle Earthで日付変更線見てたんだけど。「ここ通ってんだ~」とかいって。子午線て直線のイメージあるじゃない。でも日付変更線ってギザギザしてた気がするなと思って。国境の問題でギザギザするっていう理屈はわかるけど日付変更線自体がどこ通ってたっけ?というのがわかんなくて見てました。

そうしたら二つの島の間に子午線が通ってて、しかも間が4キロメートルしかないというのが分かって、それがなんか面白いなと思ったわけ。それでネットで調べたりとかすると全く同じようにそこに着目して「ここなんと冬になると凍って渡れるようになるんです」みたいなこと言ってる人がいるわけよ。だから着眼点としてはみんな興味があるとこなんだなっていうのもわかる。

だけどなぜそれが面白いのかわからないなと思って。それでわからないんだったらもうちょっと掘ってみるかと思ってまずメモをする。成り立ちとか、名前の由来とか、どんな人が住んでるのかとか、そもそも人は住んでるのか、とかね。結局今の時点でも何が面白いかっていうのがあまりわからないんだけど、それを深掘りしていくと、書ける段階になるっていう感じかな。

――「書ける」っていうのは、物語全体が書けるっていう感覚ですか?

久湊:そうだね。なんていうのかな?まあ、あんまりこういう言い方好きではないけど、立ち上がってくるというか。

もし日付変更線に分かたれているところの両岸に人が住んでいる場合、その日付変更線というものに自覚的であって、その4キロで対岸が見えるようなところで昨日と明日が分かれているという状況だったらどういうふうに過ごすかなと思って。

現実のその場所に住んでいた民族が、かつてどういう生活を営んで、どういう風に「いた」んだろう・「してた」んだろうというところを想像していくわけです。その想像が深くなっていくと、だんだん物語として立ち上がってくるっていうような感じ。そこは結構普通の立ち上がり方だと思うけど。

――どうでしょうね?少なくとも他の参加者の方ともまた違った感じがしますね。

物語の満たすべき条件

――「こういう状況がどうなのかっていうことを想像する」っていうのは、頭の中で箱庭みたいにその状況が浮かんでるって感じですか?人がいて島があってこういう風に動いてみたいな。

久湊:そうだね。あんまり想像力が豊かな方でもないので、いろんなところからヒントをもらってくることが多い。地理的なものに基づくアイデアだとすると、例えば Google Earthで見てると、対岸の島がどういう風に映るかみたいな写真が載っけられてるわけよ。そういうの見ると、ここから見たらこういうふうに見えるんだってビジュアルがわかる。「4キロ先と言ったらギリギリ見えるわな、水平線でも4キロ先まで見えるわけだから」と考える。対岸に人が見えることもギリギリわかったとしよう。そこで、自分が大きい島にいて、小さい方の島にも人がいる、っていう情景を想像して、その人が自分をどういう風に見て、自分はその人のことどういう風に見るかな、って考えるところから、執筆に入ったかなと思います。

――なるほど。じゃあ箱庭というよりは、一人称的な視点に同一化して、その時の対象者人物の気持ちを想像するみたいなアプローチから入っていったと。

久湊:そうだね。最初はそうでした。今回は。

――結構そこ重要なところかもしれません。写真とかを見たら、それが資料になるじゃないですか。例えば絵を描くんだったら、もうその資料そのままで書けばいいと思うんですけど。でも小説なので物語を作らないといけないですよね。その設定だけを鮮烈にイメージするだけでは足らない。どうやって設定から今の形の最終的な形の物語、時間的な広がりを持つ物語にしたかっていうのを聞きたいですね。

久湊:メモによりますと、最初は本当に断片的な、ちょっとフィクションも混ざりながらの想像をしました。例えば実際はロシア人によって発見されて、アメリカがアラスカを買ったときに一緒に領土として分割されるみたいな感じだったんです。作品も結局のところ史実を採用したんだけど。
そうじゃなくて例えばじゃあオランダとかイギリスとかそういう人たちがめちゃくちゃ分割したらどうなるのかとか、ちょっとフィクションを入れながら、どういうふうに統治されてきて、その統治者たちによって日付が前後したりとか一緒になったり別々になったりするとなったらどうなるんだろう、とかっていう疑問が出てきて。色々な状況をトレースするというか、イメージするんだよね。それを試行錯誤していくと、単純に実際にそうなったら「どう思うんだろう?」から「こう思うだろう」になっていく。「そう思う」主体は自分なんですけど、僕の場合だったらこういうふうに思うんじゃないかなとなっていく。で、それがもうほぼ確定的になる瞬間があるわけよ。いや、絶対にこう思うだろうと。「このシチュエーションだったら僕は絶対にこう思う」っていう瞬間があると。で、その「僕だったらこう思う」というのがすごく言語化も難しいんですけど、常識と照らして逆に行ってるなというとき、普通だったらそう考えないのにという瞬間が訪れる時があって、それが自分の中ではひらめきだと思っている。

例えば今人を殺すしてはいけない、っていうのが自然法である。だけど殺さざるを得ない状況というのも、世の中にはおそらくあるでしょう。
確定的なイメージを伴って「殺さざるを得ない」と思える時、ストーリーとして強く自分の中で定着する。常識と照らして逆を行くようなことがストーリーとして立ち上がるっていうのは、そういう時かなという感じですかね。

――それはつまり「期待を裏切るけど必然性がある」みたいな感じですかね。

久湊:そうだね。大方の予想には反するけども、必然性があるというのはその通りだと思う。

――今回の話だったら、同じ名前の人間が何代も受け継がれるというのは、昔の日本だったらあったかもしれないですけど現代では無いので、そういう意味では期待を外している。でもその共同体の中ではすごい必然性があると思って、そこが面白いところでした。

久湊:確かにあんまり意図的ではなかったかもしれないけど、そこには間違いなく最初の着想の時点では面白味を感じてたはず。

モチーフと作品の相互作用

――作品に出てくるのは実際に存在する部族ですかね。

久湊:はい。史実に基づいているかどうか微妙なところではあるけど、あそこら辺にいたのはイヌピアックと言われる人たちらしい。舞台となった島に関する個別資料がなかったから、一番近くに住んでるイヌイットをモチーフに持ってきているって感じかな。

――その資料を調べることで物語の形が変わったりとかしましたか?

久湊:したね。もともとアイディア段階の時には、カリブ海を舞台にしようとしてた。カリブ海の先住民のイメージっていうのが僕の中で固定観念としてあって、それはそれだけで面白みがあるなって思ってた。カリブ海の諸島の歴史とか文化とかその中で生きる人たちとかに、そもそも興味があって調べたりとかしてた
一方で日付変更線が分かれている島は実際はベーリング海峡の方なんだけど、それが仮にカリブ海文化の中で行われたらというファンタジー世界を作っちゃおうかなと思ってたんです。

だけど、実際そのイヌイットの文化を調べていったら、その名前が受け継がれるというのは同名関係って言われるらしいんですけど、そういう文化だったりとか土着のもろもろがあるわけですよ。
カリブの方で何が引き寄せられてたかっていうと、単純に極彩色の文化が強かったりとか、海が多くて空も青くて鳥もきれいで、みたいな、色がふんだんに使われてるみたいなところが小説で描けたら綺麗だろうなとかって思ってた。まあ真逆なわけよ、イヌイットと。寒い地方でほとんど単色だし。それでも目立つために染色文化があったり、動物の血を啜るのがご馳走だったりとか、イヌピアックはそっちでまたそそられるものがあった。じゃあカリブ海は今回はいいやと思って切って捨てて。要するに文献を調べていく中でその文化自体に興味が出てきたというところが大きかったですかね。

――なるほど。やっぱりその現実のものが謎を呼ぶというか、それに興味を持てるというのが大事なんですね。もしその資料が全然面白くなかったら、カリブ海も行ってたかもしれない?

久湊:それは全然ありえますね。

――素材から形式が変わっていくということか。

久湊:そうだね。

読者に対する意識

――あとは「読者のことを考えて書きますか?」ということを聞きたいです。完全に自分の中での対話みたいな感じで書いてるのか、それともこの人がああ読んだらみたいな。どちらですか?

久湊:読者の視点からは逃れられないっていう絶対的な意識がある。でも書いてるときに「こう書いたら喜んでくれるかな」とか、そういう考え方は一切しない。書きたいように書くけど、でもどこかで誰かに見られているっていう意識はずっとある。そんな感じかな。

――読者を喜ばせようとしているわけではないと。

久湊:そうだね。前になっちゃん(本誌執筆者の那智)がスペースでやってた、自分が文フリで買った作品を紹介するみたいなやつがあったんだけど、そこで僕の作品に触れてくれて。そこで(那智が)言ってたのが「すごいエンターテイナーだ」みたいなことを言ってた。「楽しませようとしている」みたいな。それは個人的には非常に不本意で、自分が楽しむように書いてるだけなんだけどな、と思いながら聞いてた。でもまあそう見えてるのは別に悪いことじゃないから、まあいいかと思った。

――「自分が楽しむように書く」っていうのは、自分が読者として楽しむために書くってことですか?もし自分の作品を別の人が書いたとして、それを自分が読んだとしたらって感じですか?

久湊:そうだね。書いてる時のマインドと一回読み直す時のマインドは結構違うけど、まぁでもこういうふうに物語運びが行ったら、自分だったら興味湧くなっていうように書いてはいる。それは当たり前かもしれないけど。

――いや、全然人によって違うと思いますね。


――最後に自分の作品についてとか、他のことでも言っておきたいことありますか?

久湊:今回ちょっと書き方というか、書くデバイスを変えたのよ。いつもWordかInDesignにそのまま直に打ち込みで書いてたんだけど、Scrivenerっていうのを導入してみた。これが非常に今回の執筆には役立ったかなというふうに思ってて。プロットの組み立てがかなり楽だった。だから、今までの作品作りと工程的にはそんな変わってないんだけど、工程を簡素化できた感じがしているので、もしかしたらちょっと書きぶりも変わってるのかもしれないと思っている。今のところ合ってるから、今後も使ってみようかなと思ってるんですけど。
新しいことしちゃったんで、いつものやり方っていうことで喋れなくなっているのが非常に申し訳ないということです。

(聴き手:岡田進之介)


久湊有起 HISAMIANATO Yuki
一九九〇年四月二七日生まれ。神奈川県横浜市出身。
立教大学経済学部卒業。
大学在学中に江島良祐と劇団ガクブチを旗揚げ。以降は演出・脚本を手掛ける。
二〇一六年より「文藝同人 習作派」として文学フリマに参加。
主な作品に「H+note+R」(2023)、「semi-colon」(2022)、「火炎のシミュラークル」(同)、「トランクルーム」(2019)。現在、会社員。


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