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【小説】弱い男#2

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


前回

ボコられて


 今日も今日とて弱い男は朝から母のいう暗黒舞踏、自称空手を玄関でひとしきり舞い、白目を剥いてぼうっと玄関に立ちつくしている母親の手から風呂敷に包まれた弁当をむしり取り様「いってくっからよ、ばばぁ」と、せめて家族の前では強がってみせるという寂しい行為をして、家を出た。こういう侘びしい行為を俗に我が国では「内弁慶」なんて言って戒める。のだが。

「ちきしょー、俺は内弁慶にすらなれないのかー!!」

 5秒後、弱い男はそう絶叫しながら田舎町のあぜ道を疾走していた。

 背後からは白目を剥き、涎を垂れ流した母親が素晴らしいフォームで全力疾走し、追いかけてくる。ハハ、そらそうだ、実はこの母親、学生時代は短距離を走っていた国体選手である。
 悪態を吐くには相手を見なきゃいかん。
 口は災いの元。
 母の強さ。
 倅の弱さ。

 そんなかつてはアスリートであった母親が本気で追いかけて来るのだから、「ネットでひろった空手家の写真の真似をしてでもそれは空手と言うよりも暗黒舞踏に見えてしまう」なんて情けない男が逃げ切れるわけもなく、直に当然とっ捕まって路上にボコボコにされ、通勤途上の人々が多数往来する中、延びてしまった。

 瞼は腫れ上がり、唇の端が切れ、鼻血がたれている。

 そんな体裁でしかも遅刻である。

 上司としては、ノロノロ出勤してきた男を見た瞬間に怒り、そしてその風体を確認して驚愕し、自分のデスクに向かって歩いてくるのを見て恐怖し、「すんませんでした」と頭を下げる情けなさに涙ぐんで、最終的には心配になった。

「どしたの、キミは?」

 内心では「お前のせいで朝から血圧が上がったり下がったりして寿命が縮むわい」と思いつつもそんな風に声をかけずにいられない。

「あ、まぁ、事故、ですかね。大丈夫ですから」

 内心では「嘘ってわけでもないし」と抗弁しつつもしかし「母親にボコられたのは事故か?」という疑念もあって、そうなると上司に嘘の報告をしたことになるからちょっと後ろめたくもあるんだけれど、でもそのまま報告したら自分の印象は更に悪くなって、昇級昇格査定等々に大きく影響を与えそうで嫌だったからとりあえずこの場を立ち去ってごまかしてしまおうとして、しかし弱い男は精神的にも脆いのでそんな僅かなストレスにも耐えきれずその場で失神してしまった。結局職場は混乱し、男は大迷惑をかけてしまった。なんとか目がさめてみたらすぐ上司に呼ばれ「今日はもういいから帰りなさい」と言われたので小さく頷いて帰路についた。

 途中、商店街に寄ってネギを買った。

 ネギは体を温めるというし。

 特に体が冷えているという感じはなかったけれど、温めておきたい気がしたのだ。

 ネギを肩に担ぐような格好で歩いていた男の眼が電柱の落書きを捉えた。

 "漢→"

 刷毛で殴り書いたような太い文字であった。

 矢印の方向に眼をやると、道を挟んで反対側の電柱にも似たような落書きがしてある。

男はネギを担いだまま矢印の誘導にしたがって歩いていった。

 どういうわけだか、鼻血が垂れてきて唇、顎、首とつたって白いワイシャツの襟を汚していたのだが、弱い男は気がつかない様子で、ただよろよろと矢印を追いかけて商店街の路地に消えた。

(つづく)

次回


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