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万城目学様✉️かつての寮生より

  万城目学さんの新刊本
「六月のぶりぶりぎっちょう」を読みました。


表題作は、もちろん抜群に面白くて一気に読みました。そしてもう一つの短篇
「三月の局騒ぎ」は、私の宝物になりました。
かつて京都の女子学生寮で暮らした私は、読んでいると懐かしくって涙が出てキュンとして。
なるほどとうなづいて、もしかして?やっぱり?そうなのね!と主人公が少し羨ましくもなりました。

目次です。短篇と中篇です。



—そう、私にとっても京都は冒険の地でしたー

お母さんといっしよに京都駅からタクシーに乗り、、

万城目学「六月のぶりぶりぎっちよう」より

物語の始まりの、ここでもう涙が流れて自分でも驚きました。
今から40数年前私は、日本の西の果ての小さい街から1人で受験して1人で入学しました。しかし入寮の日だけは母がついて来てくれました。母と一緒に寮監先生にご挨拶して、先輩から寮を案内してもらい、部屋を見せてもらったのです。
そこは8畳と板間が少し。はて、こんな狭い所に4人も?全く知らない人達と暮らす?
私は急に不安になり、主人公と同じく泣きたくなりました。 でも母は
「あなたが自分で選んだ道だから頑張って。あんなに憧れてた京都へ来れたんだから良いじゃないの。」と帰って行きました。


 私が2年暮らしたH寮は仏教系女子大の教育寮で、大学院生、大学生、短大生が同じ寮で暮らしていました。
寮監先生の存在と相部屋があることと門限があることは、
"北白川女子寮"と同じでしたがその他は違いました。
①寮生は「にょご」ではない(当たり前ですね)
②建物の名前は「〜壺」ではない
③「御簾」は無い、ただし部屋の入り口に暖簾はある
④部屋を「局(つぼね)」とは呼ばない
[と、これらの言葉はこの頃NHK大河ドラマでよく耳にするような気がします。タイムリーだなと思うのは私だけでしょうか、。]

門限は確か、21:30だったような。消灯が全館22:00なので大慌てでお風呂に入らないといけません。 各自の小さな文机の専用ライトは消灯後も使えました。(使えないといつ勉強するの?短大の授業はびっしりで課題が多くてとにかく忙しい日々)

そうなのです。小さな文机と、隣との仕切り替わりの小さい本棚と畳2枚と、押入れの4分の1だけが自分のスペース。
プライベートも何も無い暮らしでしたが毎日が楽しくて楽しくて、あっという間の短大生活でした。
全国、北は北海道から南は沖縄までの津々浦々から、元気な女の子(?)が集まってワイワイガヤガヤ。帰省の後には全国のお土産菓子が各部屋を飛び交う賑やかな日々でした。


 しかしH寮には、"北白川女子寮"の「清」のような14回生?らしい寮生は勿論いませんでした。いえ、私は短大の2年しか暮らしていないので、もしかしてもしかしたらいたのかも?と想わせてくださる万城目さんは、やはり凄いです。
 そう言えば寮生の中には、卒業して故郷に帰るのが嫌でわざと単位を落として留年しようとする友達もいましたし。
当時は、女子が就職するには自宅通勤が原則で、大学卒業イコール帰郷だったのです。
私も泣く泣く卒業して帰郷し、就職しました。
その後結婚して関西に住んでおります。
卒業当初は「もう京都から離れてしまった。私はもうずっとこの田舎で暮らすんだ、寂しいな」と落胆しましたが、
まさかまた京都の近くに住むことになるとは思いもしませんでした。
人生は不思議ですね。

あの頃も今も京都が好き。お寺や神社⛩️が好きです。



 長くなり申し訳ありません。
今度、出町柳に出かけたら、青いワンピース姿の「キヨ」を探そうと決めています。
鴨川デルタから糺の森へと歩いて、清少納言の妖精さんを探してしまいそうです。
妖怪さんでも逢ってみたいです。


 万城目学様
ワクワクを有り難うございます。



   かつての寮生より


#万城目学
#三月の局騒ぎ
#京都
#創作大賞2024
#エッセイ部門

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