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真夜中に、こんな光。

私たちは、自分の人生をかけた大きな岐路にいた。一人ぼっちで途方に暮れて、そして根拠のない、さっき生まれたような初心な確信に心を震わせて。

2019年10月、不調から眠れない日々が続いていた。そんな日々に、小さな光が灯ったのは、二人のまったく違うアーティストと過ごした一夜のおかげだ。その日、私は午後一まで仕事をして、16時ごろの新幹線で名古屋へ向かった。私の「人生ソング」と呼ぶある曲を歌う、大好きなアーティストのライブに行くために。創業前に一人行ったオーストラリアでの旅で、当時i podにいれた彼らの曲を私は、どこまでも続く真っ青な空の下、東海岸を長距離バスで南下しながら無限に聞いていた。移動をしながら、音楽を聴いて、こみ上げるひとつひとつをノートに書いて。私は自分の人生を、必死に探していた。もう9年も前の話しだ。

それをよく知るソウルメイトの四角大輔から、「絶対行くべきだ」と強くプッシュされ、もはやなんの前情報もなく、全国の中でどうにか手にしたsuperflyのライブチケット。久しぶりに行く名古屋で、そのためだけに4時間の滞在をする。名古屋駅について、「ライブってどれくらいで終わんだったけ」、と思いながら、19時の開演に向けてまずは駅中のラーメンをすすり、結局ぎりぎりで会場へとタクシーを走らせた。辺りはすでにもう暗くて、近づくと間もなく開演だというアナウンスが流れていた。

オンタイムギリギリアウトで中に入ると、椅子に座って数十秒でふっとライトが消えた。間に合った。ツアーのタイトルには、「0 -ZERO Tour-」と書かれていて、それを認めた瞬間「大ちゃん・・」と空を仰いだ。私のことを理解しすぎてているその友人の愛情を感じた。そんな仲間に背中を押されて、辿り着いた今名古屋の地、二階席の一番前でじっとステージを見おろす。間もなくライブは始まった。最初の音がドンとなる瞬間、大きな歓声の渦に飲み込まれる。ボーカルであるしほちゃんの登場では、その声が頂点に達して爆発した。その声を、何かを大きなものを表現しようとする彼女の小さな体を、私の全部で感じて、涙がぶわっとこみ上げた。

誰もが ーそれこそ経営者も、サラリーマンも、主婦も、子供も、私だってー こうやって何かのメッセージを伝えるために少なからず生きている。その中で、自分の声と体でそれを伝えようとするこの人たちは、なんて勇気があって、なんて人間らしいのだろうとため息が出る。知らない新旧の曲も合わせて、最近の曲を至ってのびのびと、昔の曲を変わらずいきいきと、歌うしほちゃんがステージでライトを浴びて輝いていた。このツアーの前に1年間休みを取ってたこともその場で知った。「そう、誰にとっても人生を生きることは、大きなテーマなのだ。こうやってたくさんの決断をして、人は生きて、探して、それを何かで表現しているんだ。」、そんなことを考えているうちに、あの私の人生ソングが始まった。その曲名は「I remember」。今までとは違う空気の中、彼女は中央のステージに歩き出し、大きく息を吸って、歌い出した。なんとアカペラで。私が、私と重ね合わせ続けてきた曲、それだけでもスペシャルなのに、なんということだろう。しほちゃんはただ一人、まっすぐに光を浴びてそこに立って歌っていた。

【I remember】
誰からも愛される人がいつも羨ましくて
何の為に ここに生まれて来たんだと 問いかけた日々
消えない傷は 胸の中で
幾度となく目覚めては あふれ出す 
ふり払うために
私はこうして歌うの 朽ちるまで
I Remember
悲しみの雨に打たれた夜は
届かぬ この魂の歌 泣きながら叫んだ
目の前の愛をつかみとれなくて 空回る日々
いつからか 自分を信じる心を 持てなくなった
ひとりぼっちの臆病者は
苛立つ歯痒い自分を愛せなくて
言葉にならない
もどかしい心が 走り出した あの頃
I Remember
悲しみの雨が教えてくれた
絶望を希望の光に変えたメッセージだった
I Remember
悲しみの雨に打たれた夜は
届かぬ この魂の歌 泣きながら叫んだ
あれは 燻る私を変えた一ページだった

歌の終わりに、「私にとって歌を歌おうとした原点の、0の歌だから、たぶん最初で最後、アカペラで歌おうと思った」と彼女は言った。私の中に、久しぶりに、ざぁっと風が吹いた。こんなに、自信を喪失しているのに私は、彼女のステージを見て力をもらったとかではなく、大それたことに「私も同じ人間だ」と思ってしまった。「私もこうやって、多くの人に何かを届けたい人間なのだ」と、と。それが私の使命であり、運命なのだ、と静かに目を関じた。それは、今までみたいな強迫観念でも一瞬のやる気でもなく、願いのような静かで自然なものだった。まだ弱くはかないけど、心の中に確かに炎が灯った。思えばこの数年、小さな世界で生きてきた、と思う。小さな世界で気をもんで、迷って、葛藤して。でも、私はもっと大きな世界を夢見て、26歳でまた人生を始めたのだったと、その澄んだ歌に、浮かんだオーストラリアの光景に、はっと思い出す。そんな大きな何かが自分の中に芽生えて、ライブが終わった。

最終の新幹線帰り道、私はあるシェフの友人に連絡して、一緒に飲みに行くことにした。彼はステージに立ち続ける人。数日前にたまたま連絡した彼から、そのステージを自分で閉じると決めたと聞き、私は涙を流さずにいられなかった。どれだけの気持ちで、その人が代替のきかないステージに立ち続け来たかが、わかったような気がしたからだ。なんだか直接話したかった。二人で話したことはおろか、仲間うちでもゆっくり話したことはなかったけど、私は勝手に同じ星のもとに生まれた人だと思えてならなかったのだ。仕事終わりの彼が指定したのは、渋谷の沖縄料理屋さんで、そこに私が着けたのは23:30を回ったころだった。

週に一度どんなに遅く帰ってきてもいい ママお休みのこの日、非日常の夜が深夜のてっぺんから始まろうとしてた。ビール飲んで、ワイン飲んで、最後は酔っ払って吐いたけど(笑)、どこまでも愉快な夜だった。そのにぎやかな雑踏の中で、今まで溜め込んでいた葛藤や苦しみが癒えていくのを感じた。もがけばもがくほど見えなくなる自分と未来。誰も傷つけたくなくて、自分もみんなも傷つけた。

でもその夜、そんな今だから見えるものがあったら。お店の活気、トイレを並ぶ人との会話、元気が出るご飯、怪しくて面白い店主に、今しかできない本音の会話。誰にも理解されることのない私たちは、交わす言葉よりも多くのものを二人の間からだけではなく、そのにぎやかな夜からもらった気がする。

その帰り道、二軒目に行くか迷いながら、結局外にでて私の自宅までの道を小一時間二人で歩いた。まっくらな道にぽっかりと浮かぶ電灯の光に照らされた私たちの姿を、3ヶ月が経とうとしている今でも何故だかはっきりと思い出せる。飲みきれなくて持ち帰ったボトルのワインを飲むことはなかったけれど、どこまでも歩けるような気持ちで「ららんっ」と歩いた初冬の夜。私たちは際限なく話した。何の遠慮もなく、何の憶測もなく、今も具体的に覚えていないほどの、取るに足らないことごとを。「そうなのよ」、「そうだよね」話をしながら、夜の風景が通り過ぎる。今日私が出会った、大きな世界にいるアーティストの二人。それでも一人の人間としてただ、生きようとする二人。

苦しくて辛かった日々に、不意に希望の光が灯る。あの時の私でなければ感じられない命の輝きのようなものを、私は確かに感じていた。あの時の私だからきっと、あの日を特別に覚えているのだろう。きっと、傷ついていないと見えない光があって、苦しくないと感じられない何かがある。あの夜を、暗がりに浮かぶ縁日みたいに本当に、にぎやかで懐かしい夜だった、と思う。深夜の男女であることも忘れ、もちろん手なんてつながず、少しだけ先のことを話しながら、私たちは静かに自分たちを鼓舞した。

あの日の、明かりが今の私を照らしているように思えてならない。忘れてなくてよかった。こんなにも些細な、でも力強い夜を。こんなにも一生懸命にキーボードを叩いて、残したいと思うほどの何か、まっすぐな気持ちを。

私たちは、自分の人生をかけた大きな岐路にいた。一人ぼっちで途方に暮れて、そして根拠のない、さっき生まれたような初心な確信に心を震わせて。

あれからその友人には会っていないし、これからも頻繁には会えないかもしれない。でも、私は願うーーー。私と彼と、そして「自分の人生をそれでも尚、まっすぐに生きようと願うすべての私たち」が、道に迷ってもあの夜みたいな光に、何度でもぽっかりと照らされることを。




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