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40歳の、肖像。

40歳になる日が、来るなんて。

人生というものに向き合いすぎて、著名な文豪たちが多く自殺しているのを見聞きして、私もこんなにも自分の人生について考えてる限り、自分は長くは生きられないのでは、とどこかで思っていた。今はもう思わないけれど、自殺する未来、は他人のそれではなかったと思う。具体ではないけれど、死ぬということも生きるということも、自分のポケットに入れて、それにいつも触れていたような感覚がある。

今から思えば、10代の前半という多感な時期。目の前のそれしかない世界と対峙して生きるということの臨場感はすごかった。自分が変わっていると指を刺されるたびに、変わった家族や環境に自分でも白い目を向け、それでも世界の全てである周囲に馴染めるはずもなく、私はほとんど絶望していた。

あの時飲み込んだ、無数の言えなかった言葉たち。

燻る心が育てたのは、「それでも私は生きていく。決して折れない。」という、決意というよりも、願いみたいなものだったかもしれない。言葉にしたら昇華して消えてしまう言葉たちは、一歩も外に出ることができず、私の中を何度も回って、マグマのように熱を上げていった。その後の30年の私を、突き動かしてくれるくらいに、静かに力強く。

15歳、何ひとつ自分で選べなかったと思ってきた私が、初めて自分で選んだ高校という選択。私はあの時、自分の人生が始まる音を聞いた。(それが学校を作る動機にもなった)自分を認められ、違いもいいねと笑い飛ばされて、心通じる彼氏や仲間と過ごした日々。その途方もない楽しさ、幸せ、眩しさ。突き動かされるように、そこから私は、この世界で何かを生み出そうと走り出した。

生まれてからずっと自分ではどうしようもないものに翻弄され続けた私は、やっと手にした「自分が生み出せる世界」に魅せられて、「まあいいや」なんて思うこともせず、15歳からの全ての日々を全力で駆け抜けてきた。生まれ落ちた運命を変えるくらいのパワーで、私は自分の人生を自分で生きようともがいていた。

好き嫌いでも、華麗な決断でもなく、時に絶望と共に「きっとこれなんだろうな」と思う未来が、いつでも自分の節目に不思議と目の前にやってきた。CRAZY、SANU、神山まるごと高専、ECOMMIT…歳を重ねるほどに、運命というものがぽっかり存在しているように思えてきて、それに背くのは辞めた。そして、やるという決断のたびに自分の命の重さが変わっていく気がした。

世界を変えようと思っていた。世界を変えられると思っていた。その自分を貫くエネルギーは、私に生きている意味を与えてくれ、私をどこまでも頑張らせてくれた。決断と努力と達成と、その過程の無限の葛藤の中で、自分自身が前より強くなっていくような気がした。時代の後押しもあって、全速力で生き抜いた私が39歳で辿り着いたのは、私が世界を変えなくていいという赦しだった。

アナと雪の女王のアナのように、天気の子のあの主人公のように、世界が自分にかかっていると本気で信じて走り抜けた日々を超えて、40歳の私はというと、もっと緩やかな場所にいるなと自分で思う。それがたまらなく嬉しい。

「20代30代、咲は戦ってきたように思う。常識とか、自分自身とか、世間のイメージとかと。でも、40歳の咲をイメージすると自然体という言葉が浮かぶ」と、気の許せる仲間から誕生日のメッセージ。私もそう思う。うん、そうでありたいなと思う。

人生の中心で、私の存在価値の証明でもあった仕事も、この半年の心境の変化の中で、今は大事な趣味になった。「やってもやらなくてもいい。でも、やりたい。そして、心の底から愉しい。」そんな私には前にも増して引力が高まっているように思う。仕事は相棒になった。今やる、今変える、完璧にやる、私がやる…そんな概念が私の中で、ゆっくりと溶けていった。

私は世界を、諦めた訳では無い。変わらず、私には時代の声が聞こえる。他の人には見えない、一点の未来が見える。そこに向かって、奇跡を起こさないと!と思うよりも、「奇跡が起きなかったとしても、この仲間とのこの挑戦に悔いはない。」と思いながら、私は日々を愉しんで、抱きしめて歩んでいる。そして多分、その先の未来に、奇跡はきっと起きてしまう。笑

40歳の肖像、と題して写真を撮った

40歳、私の顔は昔よりも確実に歳を重ねている。それもいいな、と思える。ここまで生きてきた辛いことも嬉しいことも、どうしようもないことも、全部この顔に詰まっている。泣いて笑って、それでも私は嘘をつかず、傷ついても真っ直ぐに生きてきた。嫌だった皺のある顔も、そう思うとなぜか誇らしく思えるのだ。

今目の前にあるものは既に夢じゃないから、夢は何かと聞かれたら数年前から変わらず、「想像もできない1年後を、来年も再来年も生き続けていること」ときっと答えるだろう。相も変わらず、私は変化だけが正しいと思っていて、全部を体験して死にたい!と、思っている。

周りにいてくれる人たちのおかげで、今人生で一番幸せな1年を過ごしている。年も顔も大人にはなったけど、きっとずっともっと少女のように無邪気にこれからも生きていくのだと思う。

カメラマン澤圭太とのセッションの終わり


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