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Iメッセージで伝える勇気と覚悟。

キョウイクにや子どもたちと関わる人間として、
考えておかなければいけないことは山ほどあります。
その中でも少しナイーブな内容ですが、
「自死」について
考えてみたいと思います。
(暫定的な考えです。皆さんのご意見も是非お聞かせください。)


1 私が感じているものは、絶対。

私自身は、「死にたい」と思ったことはありません。
しかし、「死にたい」と思っている人に出会ったことや
目の前でそう言われたこと、同級生の自死等は周りにありました。

その瞬間そのかたたちは、
「生きてたらいいことがあるさ」
なんて言われたいとは思っていないと私は思います。

「死にたい」というものを少し抽象的に、
そういう「感じ」があるとしてみると話が分かりやすくなると思います。
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「つまらない」などなら
みなさん感じたこと、思ったことありますよね。

その「感じ」って、
同じ経験をしてもみんな違う「感じ」を抱きますよね。

そうなんです。
「私が感じているものは、本当に同じものはなく、絶対」
なんです。
誰がなんと言おうとその人が今感じていることです。

私のように
猫と出会ったら、
「幸せ」と思う人もいれば、
「汚い怖い」と思う人もいる。
しかし、その感じていることは絶対です。
そこには、違いがあるだけです。

2 絶対的な感じを否定してしまう

その方が「死にたい」と感じていることは、
絶対的なことです。
誰からも否定することはできません。

しかし、よく陥りがちなこととして、

もし、自分の大切な人などから
「死にたい」
という言葉を聞いた時、
死んでほしくないと思っていて、
一生懸命
「生きてたらいいことあるよ。そんなこと言わないで。」
と、自分の「感じ」や一般的に言われていることから
相手の絶対を否定してしまう言葉を遣ってしまう。

私も、そう言ってしまうかもしれません。

場合によっては、その言葉や態度で救われる人もいると思います。
しかし、言われた本人は
「私は死にたいと思っても駄目なのか…」
「私の気持ちは分かってくれないのね…」
自分の絶対的な感じを否定されたように思っているかもしれません。

3 Iメッセージで伝えること

では、どうすればいいのか。
今私が言えることは、
「アイメッセージで伝える」ということです。

「アイメッセージ」を簡単に言うと、
何か思いを伝えるときに
「I」つまり「私」を主語として、相手に伝えることです。
「私は~だと思う。」「私は~して欲しい。」と伝える。

自死についての例であれば、
「死にたい」と言われたときに、
「私はあなたに死んでほしくないと思っているよ。」
「私はその言葉を聞いて、あなたの助けになりたいと思っているよ。」

などと伝えるということです。

「私が感じていることは、絶対」であるので、
「死にたい」と思っている人の気持ちも否定せず、
自分の気持ちも伝えることができます。

その他にも、
その人を受け止めたり、受け入れたり、共感したり、一緒に散歩したり、
色々なことができると思います。

4 Iメッセージで伝える勇気と覚悟

しかし、私は思うのです。
「Iメッセージで伝えるって、難しいなぁ」と。
日本語の特性上、主語を省略する傾向にあることと、
忖度のような文化があるため、
絶対的な自分の考えを伝えることが少し怖いと思っている自分がいる…

映画マトリックスのモーフィアスの言葉にも
「道を知っていることと、実際に歩むことは違う」
とあります。
「自分を主語にして語る」って怖い。

しかし、大切な人が困っているなら、
自分を主語にして語る勇気が必要です。

そして、自分の言葉に責任をもつためにも、
しっかりと考え、感じ、自分の言葉をもつこと。
その覚悟も必要だと、私は思います。

5 キョウイクに関わる人間としてできること

らしくで大切にしていきたいこととして、
『自己理解』『対話』を挙げています。

「Iメッセージ」を遣うためには、
自分を知らなければいけません。

「私は○○と思うけど、あなたはどう思うの?」
「あなたって、△△しているときよく笑うよね。」
「すっごい悲しそうに見えるけど、どうした?」

キョウイクに関わる人間として、
子どもたちの『自己理解』を促す鏡の様な存在になること。

自分の絶対と相手の絶対を大切にしながら、
みんなが納得できる真ん中を見つける
練習をサポートすること。

まだまだ始まったばかり。
まずは自分から。




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