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黒髪を切る迄 7


 夏休み中も演劇サークル『MARS』の部活動はほとんど毎日続けられたのよ。でもアワノは喫煙事件の影響で出て来れなくなったの。停学そのものは一週間だったけど、その後、進路指導室にて自習することを言い渡されて、学校には来ていたらしいのだけど、結局、夏休み中は部室に顔を見せることはなかったわ。幸いにもアワノは『MARS』の正式な部員ではなかったから、その件で部活動や秋の演劇上演が中止になるなんてことにはならなかったのよ。
 小野さんの方は毎日では無かったけど、週に二、三回は稽古の様子を見に来てたわね。こちらも例の催眠術の件で先生にお叱りを受けたのだけど、そこまで問題にはされず、小野さん自身もさばさばした雰囲気だったわね。
 私はあの時の催眠術にはちょっと驚いてしまって、小野さんに催眠術のことをいくつか尋ねてみたのよ。すると彼はあの小野スマイルを全開にして、いろんなことを細かく話してくれたの。それによると小さい頃からある有名なマジシャンに憧れていて、その人のする手品・マジック、催眠術のかけ方などの方法を本で読んで、試行錯誤しながら練習を積んで来たとのことだった。彼は結構な努力家だったのよ。
 それでね、一度、私にも催眠術をかけてみてくれないかってお願いしてみたんだけどね、小野さんはこう言うのよ。「紗雪さんには催眠はかからないと思う」ってね。私が「どうして?」って訊ねると、照れたような小野スマイルで、「いや、信じてない気がする」と言うわけ。
 それで、「えー、信用してるわよ」って言ったんだけど、そうじゃなくてね、小野さんを信用してるかどうかじゃなく、催眠術そのものを私が疑ってかかってる、そう小野さんは感じたみたい。
 そう言われてみると、そうかも知れないわねって私も反省したわ。どこかで、そんなものかかるもんですか、なんて思っていた部分があったから。小野さんが言うには催眠術にかかる人とかからない人がいるらしくて、最初から疑ってかかる人にはかからないものだそうよ。
 なんかそう言われて、私って心が意地悪な方向にひん曲がっているのかしらと思ってショックを感じたものよ。でもおそらく、今も私は催眠術にはかからないタイプなんでしょうね。疑ってるつもりはないけど、信じてもいないから。
 さて、それはともかく、この頃から稽古は本格的なモードに突入していって、常にピンと張り詰めた空気の中で行われて、みんな真剣な表情で取り組んでいたわ。
 その中でも一番真剣だったのは演出の鳥山ね。彼は熱くなるタイプらしく、自分が納得できるお芝居が表現できるまで、同じ場面を何度も何度も繰り返しやり直させたわ。もうそれは恐いくらい。演技する女子たちもまた同様よ。どんなに罵声を浴びせられても「始め」の声がかかれば必死よ。一生懸命というか、なりふり構わず声の限り、体力の限りをそこにぶつけて、まさに真剣勝負のような場所だったわ。
 その中でも城山千紗子は当初こそ上手くこなしてるように思ってたのだけど、ある時、ひとつの台詞の言い回しについて何度もダメ出しをされて、そこから何かが崩れ始めて、他の部分も全体的にギクシャクと変になってしまったの。流れる汗を拭うことさえ忘れて集中しようとしてるのだけどね、鳥山の考えているような演技からは逆にどんどん遠去かって行ったのよ。
 それは千紗子だけじゃなかったわ。他の演者も何かひとつに躓くと、それ以降、自信を無くしちゃうのか、どんどんと演技が崩れてしまうの。まだ十六、七の少女たちだものね、舞台の経験も無いし、そもそも壁にぶち当たるなんてことが初めてだったのかも知れないわね。
 当初春先に『MARS』として初の旗揚げ公演をしようと盛り上がっていたものが、この頃になると現実の困難さに立ち塞がれて、まるで空気を使い果たしたロケット風船みたいに、しゅるしゅると萎んで落下してしまったのよ。
 こんな時、アワノがいてくれたら、なんて私は思ったわ。小野さんと私では、重くなってしまった空気を一掃できるほどの影響力を持ち合わせてはいなかったし、どちらかと言うと私は、なんとか早くその場から逃げ出したい、そんな気持ちでいっぱいだった。
 その日の稽古を終えて、「こんな有様じゃとても無理だ。やめちまえ!」なんて暴言を吐いて、憮然とした表情のまま鳥山が帰って行くと、女子たちはみんな項垂れて肩で息をしながら、暫くそのままの姿勢で動こうとさえしなかった。誰もが疲れ果てて、口を利くことさえおっくうだったみたい。その光景はさながら戦に敗れて荒地に息絶え絶えに倒れ込んだ兵士たちのようで、迂闊に声もかけられそうになかった。しかもやってるところはまだ第一場の途中、少女が老夫婦の家を訪ね身の上話しをしている段階なの。この後、少女が街角でマッチ売りをして男たちがそれを買う第二場。そして家の中で盗難を働き、それを老婦人に見咎められた弟を少女が激しく叱責する場面。そして老夫が不用意に点けたマッチの灯りを見て少女のトラウマが甦り、狂乱してしまう第三場へと、まだまだ先は長い。先が思いやられる、というよりは半分、無理なんじゃ無いかという思いが頭を駆け巡ったものよ。
 そんな状態のまま、お盆休みに入ったの。その間だけは学校も閉鎖されて、一週間ほど部室も使えないから、稽古はお休み。それぞれが自宅で個別練習するしかなかったの。

 さて、私個人も、その頃いろいろあって大変な日々を過ごしていたのよ。
 そのひとつは、一学期の中頃、クラスの美化委員に選ばれていた私は、各クラス、各学年の美化委員が呼び出される美化委員会に招集されたの。
 美化委員をまとめる担当の教諭は西川と言って、いつも事あるごとに「ピシッとせい」というのが口癖なので、みんなからピシ川と呼ばれていて、どちらかというと嫌われていたわね。私もあまり好きではなかった。
 でも、仕方ないのでクラスを代表して美化委員会に出席しないといけなかったから、一応出向いたわよ。校舎の端の方にある化学実験室というのが、指定された場所だった。
 一学年八クラスにそれが三学年だから、二十四人いるはずだけど、なんだか集まったのは二十人にも満たないような気がしたわ。同学年の子は多少顔見知りだったけど、学年の違う子たちは皆知らない生徒たちばかりだった。みんないやいや集まったみたいで、早く終わってくれないかなと面白くなさそうな顔をしていたわ。
 すると実験室の前の扉をガラリと開けて西川が入って来た。相変わらず背筋をピンと伸ばして、眼鏡の奥の細長い目でジロリと一同を舐めるような目で見渡したわ。
 彼は教壇の前に立つと簡単に挨拶をすると、各学年ごとに集まって着席するように指示をして、私たちは仕方なく皆前の方の席に移動したの。
 それから西川はこの集まりの主旨について説明し出したわ。それによると、数年先に開催される国体の候補地に私たちの地元が上がっているらしくて、それを前にしてこの秋、国体関係者の誰かが、この地域を視察に回るとのこと。その視察する箇所に我が校も入っているらしく、そのための準備として、校内美化運動を美化委員会に進めて欲しいということだった。具体的にはいろいろ細かい部分もあったけど、一番のメインは校舎の周りにあるたくさんの花壇に色とりどりの花を植えて、見た目を綺麗にして欲しいという話だった。
 私がその話を聞いて、最初に思ったのは「うわっ、面倒くさっ、迷惑だな」ってことだった。
 まず、国体を開催することと花壇に花を埋め尽くす作業との因果関係が理解出来なかったし、それを視察に訪れる偉い人のために奉仕するようなこと、なんとなく嫌な気持ちだった。第一、この学校を視察する必要なんて、どこにあるのだろうって、そう思ったわ。
 でね、ここからが最悪。ピシ川、いや西川がこの美化委員の者たちの中からみんなを統率する美化委員長を選出して欲しい、ということだった。
 ああ、もうその時点でイヤな予感がしてたわ。先ずは立候補者がいればなんて言うけど、進んでやりたがる人なんて誰もいないに決まってる。もし、いなければ、話し合いで誰かを推薦してってことだったわ。
 話し合いなんて、話し合いというより面倒な仕事の押し付け合いよ。しかも委員長となればそれは最高学年である三年生から選ぶべき、なんて下級生は当然に言い出したから、確率は八分の一、でも実際には六人しかその場に居なかった。最初、私たちは来なかったクラスの誰かに押し付けようと話し合ったわ。だけど、ピシ川が、ここにいる者の中から決めてくれなんて言うものだから。来て損を見ることになってしまったわ。それでも確率は六分の一。
 最終的にはじゃんけんすることにして、最後まで勝ち残った者を委員長にするという話になって……。
もう分かるでしょ。こんな時だけ勝ってしまうのよ。普段は弱いくせに。じゃんけん。
 そう、私が美化委員長に選ばれてしまったわ。
 もう私にとっては悪夢のような出来事だったけれど、決まってしまえば仕方ない。やるしかないと諦めたわ。ま、できる範囲内でだけどね。
 それから各学年から一人ずつ班長を選出させてね、手分けして作業できるように連絡網を作ったの。
 自分は指示だけして、作業は他の誰かに押し付ければいいなんて最初は甘い考えも多少はあったものよ。
 まず、各班長を集めて、どこにどんな花を植えるか、その話から進めたわ。秋に咲く花なんて何も知らなかったから、ある程度適当に本などから資料集めてね。花屋さんに聞いてみるなんて意見もあって参考にしたわ。
 それで先ず最初に花の種や苗を買いに出掛けたのだけど、もう今となっては何を買ったか、なんて覚えてないけど、マリーゴールドの花だけはよく覚えてる。一番量も多かったし、私がそれを担当してたから。
 それから美化委員に召集をかけて、校内各地にある花壇をそれぞれ担当を分配させて、土を耕し、種や苗を植えて行ったわ。それから後は毎日朝夕の水やり、それに誰かに踏み荒らされないように立札を立てて、見回りも盛んにしたわね。
 美化委員は先にも言ったように二十四名いるはずだけど、なんだかんだでいつも集まるのは十人前後、それも大体いつも同じ顔ぶれ。最初から最後まで一度も顔を見せなかった幽霊美化委員も数名いたと思うわ。
 最初は指示だけ出して何もしないでおこうと目論んでいた私も、そんなこと言ってられなくなって、それこそ、本当に毎日奔走したわ。でないと、次々に植えたはずの種や苗が花を咲かせる前にどんどん枯れてしまうから。
 特に夏休みは大変だったのよ。一応当番を決めて朝夕水やりをするのだけれど、サボる人続出で、私ともう一人性格のいい子がいて、二人で毎日、朝夕学校の周囲の花壇を見て歩いて、水やりして回ったのよ。
 でも不思議なものね。国体関係者の視察なんてどうでも良かったのだけど、自分が植えて育てている草花はどんなに小さくて見窄らしくても、愛着が湧いて来るのよ。ちゃんと花が咲いて欲しい、それだけを毎日願っていたわ。
 だから誰かに荒らされたところとか、台風や雨風に吹かれ流されたりすると、悲しくてね。
 何のためにとか、誰のためにとかではなく、自分で苦労して作り出すことの喜びを感じたくて、毎日奮闘してたわね。あの頃は。
 あと、部活動として本来私は文芸部に所属していたから、秋に出す文集に載せる小説、またはエッセイを執筆しなければいけなかったから、大忙しよ。
 その時は大変だったけど、今になって振り返ってみるとみんないい思い出にすり変わっているから、不思議ね。若い頃ってそんなものよ。何でもやってみればいい。時が経てばいつか、楽しくなるから。そう思うわ。

 つづく

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