八ツ橋村 3/6
【辰也】
さて、ここで再び、私、辰也が語り手を引き継ぐことにしよう。
八ツ橋村にやって来てそうそう大変な事ばかりが起きている。
相続分だけ貰ってちゃっちゃと六丈島へ帰ろうと思っていたのに、双子の兄がとんでもないデブでヘルニアで死にそうだからと、いきなり当主にされてしまった。
ただちょっと屋良世手代というお姉さんは色っぽいので、ここにいる間になんとかならないかなとは思っている。ちよっとやらせてよとでも言えば良いのだろうか?
それはともかくとして、宴会が行われて、その最中に誰だかよく知らない爺さんが口から血を噴いて死んじまった。
どうせまたあのクチベタ弁護士みたいにウソだろと思っていたら、今度は本当らしくて、大騒動になってびっくりだ。
万画一とかいう変な探偵が現れたり、本庁から警察がどっとなだれ込んで来やがって、事情聴取されたり、いろいろと慌しい。
一体、この村、どうなってるんだ?
さて、警察の方々は今もこの原賀家の一室であーだこーだ議論をしている様だが、こっちはそうそう付き合ってもいられないので、離れに部屋を用意して貰い、寝具を敷いて床に就くことにした。
田舎の事だけあって、ここも結構部屋数は多い。元々は農業も手掛けていて倉庫まである。まだその当時の名残りもいくつかあって、私が普段目にしない珍しい物も数多く残されていた。
それにしてもこんなド田舎の夜は何だか薄気味悪い、殺人があったからという訳ではないが、寝苦しい。
それでも部屋の明かりを消して布団に包まっていたらうつらうつらとして来た。
そして、あれは、何時頃の事だろう。ふと障子越しに窓の外を見ると、ふわふわとした二つの灯りがゆっくりゆっくり通り過ぎて行く。
うわっ、お化けだ、と思って一旦は布団に潜ってみたが、やはり気になって、恐る恐る、もう一度外を覗いてみる。
障子を細く開けて外の庭を見ると、何と不気味な! 腰の曲がった背丈の低い白髪頭の老婆が二人、手に提灯を持って、それをゆらゆら揺らしながら、池のほとりを歩いて行くのだ。
暫くその様子を見ていると生垣の隙間から裏通りの小径に出て行く、気になって私も大急ぎでコートを羽織り、その後を追ってみる。
二人の老婆はよろよろと曲がりくねった細い路地を右に左にゆっくり進む。
どこへ行くのだろう?
そして十五分も過ぎたであろうか、二人の老婆は少し開けた広場に出た。横には小さな小川が流れて水の音がさらさらと聞こえる。空には満月が出て、月明かりが老婆の姿を映し出す。私は物陰から様子を伺う。
すると道の左側から、また二つの灯りがふわふわとこちらに向かって来る。見ているとそれも二人の老婆だ。老婆が四人。
と、また右の方から、それと同時に奥の古道からそれぞれ二人連れの老婆がまたも、ふわふわと提灯の灯りを漂わせ広場に集まる。合計八人の老婆!
老婆達は集まると円陣を組む様に向かい合って中央に提灯を掲げると、中の一人が「見回りご苦労様!」と嗄れた声を出し、その他の者もふぉーい、ふぉーい、と掛け声を合わせた。
しかも八人の老婆は全員同じ顔!同じ姿!
そして何事も無かった様に隊列を組み、あはは、あははと歯の無い口を開けて大笑いしながら、川の上流に向かってよろよろと歩き出した。その隊列は一歩進む毎に姿が薄くなり、とうとう先頭の老婆が闇に消えてしまうと、後の者も次々とその姿を消していくのだった。
なんじゃこりゃ!
悪い夢でもみてるのかしらと、私はとっとと帰ることにした。
そこではたと気が付いた。ここはどこだ?
右に左に思いつくまま進んでみたが、帰り道が分からぬ。私はまたもこの迷路に嵌まり込み、帰り道がとんと分からなくなった。
ウロウロと同じ様な通りを二度三度回っていた私の目の前に、今度は突然、白猫が現れた。
うわっ、右と左で目の色が違う、不気味な猫だ。
怖がる私に白猫は、ニャオと一声かけると私の前を歩き出す。着いて来いと言わんばかりだ。
釣られて私も後に続いたもんだが、どこに連れて行かれるやら分かったもんじゃない。ここらでバッくれてやろうと横道に逸れる。
するとフーッと怒りの声を出し、白猫が私を追いかけて来て、飛び掛かると前脚でぽかぽかと私の顔面を叩く叩く。
そしてまた地面に飛び降りると、ニャッとさっきよりキツイ調子で着いて来いと一鳴きする。
仕方ない、言われるままにすごすごと後に着いて歩く。
するとやがて、出て来た所の屋敷の裏庭の生垣に出た。助かった。道案内は正しかった。疑って悪かったよとお礼を言おうとすると、白猫はさっさと屋敷伝いに軒下を通って消えてしまった。
ま、変な夜だが仕方がない。寝るか寝るかと私は部屋に入り込み、再び布団に潜り込んだ。
翌朝、遅く起きて、兄の減太の様子を見に行く。内心、早くくたばってくれねぇかなと期待していたのだが、割りとピンピンしてやがる。がっかりだぜ。
「お兄さん、おはよう御座います」
「おう、辰也か、昨夜はよく眠れたか?」
と訊くので、私は深夜に見た老婆八人組みの話をしてみた。
「ああ、それはこの村の守護婆様じゃよ」
と、減太は平然と言う。
「何よ、守護婆様って?」と、横から屋良世手代が口を出した。
それにしてもこの女、どこで寝起きしてるのだろう? まさかこの部屋で減太と……?
いや、こんなヘルニア野郎にこの精力旺盛な女の相手が務まる訳がない。それにしても朝から妖艶な格好をしてやがる。
「まあ、言ったらこの村の守り神みたいなものよ」
「守り神? あの人達は人間ですか?」
「う〜む、それがよく分からんのじゃよ。言い伝えみたいなものだしな。でも、辰也それを見たのならお前は幸福者じゃ。良かったのぉ、ひっひっひ」
何が幸福者だよ、変な笑い声出しやがって。
「ところで、昨日の宴席でお爺さんが亡くなられた事件、犯人は捕まりましたか?」
「いや、それはまだ分からんみたいだな。葡萄酒に毒が入れられていたと聞いた。あの時は人がたくさん入り乱れていたからな、誰にでもチャンスはあったさ」
「何だか、あの警部といい、もじゃもじゃ頭の探偵といい、私を疑ってる様な目で見るのよ。そんなに私って怪しいかしら」
と、屋良世手代が言う。
たぶん、怪しいじゃなくて妖しいんだろうけど、ま、ここは一先ず黙っておいた。
「それはともかくな、辰也。今日は川向こうの飯尾家に挨拶に行っておけ」
「飯尾家ですか、ああ昨夜来てた、あの紳士ですか」
私はあの紳士ヅラしたイケスカない野郎と言おうとしたのだが、そこは抑えておいた。
「そうだ。今はあの人がこの土地の名士だ。生菓子の販売でたっぷり儲けておる。昼時に行けばたんまり飯を食わせてもらえるぞヒッヒッヒ」
こいつ、人の家のメシを食って、こんなにぶくぶく太ってやがるのだなと私は思った。
「それなら、私が車で案内するわ」
屋良世手代がそう言ったので、私は即座に頷いた。これはチャンスだ。ヒッヒッヒ。
そんな訳で、私は屋良世手代の運転する軽自動車の助手席に乗り込んだ。世手代は今日もまたレザーのミニスカから太腿をあらわに露出させている。これでは触って下さいと言ってる様なものだ。黄色の革のショルダーバッグもよく似合っていた。少し邪魔だけど。
そんな私の思惑とは裏腹に世手代の運転は細い路地を右に左に荒っぽく揺れ動く。これならドサクサに紛れて胸に手が触れても言い訳が出来る。
「何で和尚が殺されたと思う?」
突然、世手代は昨夜の殺人事件の話をし出した。
「いや、私はまだ、この村に来たばかりですから、そんな事はとんと……」
世手代は私の返答などお構いなしに一人勝手に喋り続ける。
「あの爺さんはいろんな事を知り過ぎてたのよ。第一あんたの存在だって村の多くの人達は知らなかったんだから。あんたを呼び寄せるように仕組んだのはあの爺さんだって話よ」
それは知らなかったが、そんな事はどうでもよかった。車の振動に合わせて揺れる世手代の巨乳が気になって仕方がない。
「さ、着いたわ」
気がつけば洋風の立派な館の前に車は横付けされている。しまった、頭がくらくらして、触る暇も無かった。まあ、帰りがあるか。
「ここが飯尾家よ。素敵なお家でしょ。生菓子御殿とも言われてるわ」
「生菓子御殿?」
ああ、確か生菓子を売り出して一儲けしてるという話を聞いたな。
あの気位の高そうな偉ぶったおっさんだったな。いい男ぶりやがって、今日は一発何かぶちかましてやろうかな。私はそんな殊勝な心持ちで飯尾邸の玄関ドアに向かった。あれ? 何だ?
屋良世手代がポケットからドアの鍵を取り出し、勝手に中に上がり込んだぞ。
「あれ? 何で世手代さん、こちらの家の鍵を持ってるんですか?」
「あら、私はこの村の大抵の家に出入り自由にさせて貰ってるのよ。ここも我が家みたいなものだわ」
驚いた。何だ、この女!
勝手に入り込んだ世手代はサッサと廊下を突っ切り、ダイニングキッチンのドアを開ける。
「あら、おはよー、久枝さん、お昼の用意?」
「あ、せっちゃん、おはよ。そうなのよ。昨夜は大変だったわね」
「そうなのよー、全く、本庁のしかつめらしい警部が偉そうな顔で取り仕切ってさ」
世手代は勝手知ったる他人の家か、玉子焼きをひとつ手掴みすると口に放り込んだ。
「あら、そちらの人は、確か……」
「あ、この子ね減太の双子の弟で辰也。全然似てないでしょ」
と、突然この子扱いでしかも呼び捨てかい!
「はじめまして、辰也です。昨夜はご挨拶も出来ずに申し訳ありませんでした」
昨日の宴席に久枝も来ていたのだが、殆ど顔も見ずにてんやわんやしていたのだ。
「あんなことがあったのだから仕方ないわよ。いらっしゃい、飯尾の家内です。よく来てくれました。ゆっくりして行ってね」
飯尾の奥さんは四十過ぎくらいのまあまあな美人だ。感じは悪くない。
「ご主人は?」世手代が訊く。
「書斎にいると思うわ。もうすぐお昼だから、それまでお相手してやって」
と言われて我々は書斎に向かうのだが、世手代にお相手してやってと言うのを聞くと、妙な事を想像してしまう。
「は〜い、パパ」
「お、来たか」
書斎を開けると二人は気軽な調子で呼び掛け合った。う〜む、この二人の関係も気になる所だ。
「おっ、辰也くん、いらっしゃい。よく来てくれたな」
「お邪魔致します」私は丁寧に頭を下げた。
「まあまあ、そう堅苦しくせずに寛いで、さあさここに座って」とソファに案内される。
書斎と言ってもなかなか広く、沢山の蔵書に囲まれて大きなデスク。その前に来客用のソファがある。
「昨夜は大変だったね。この村へ来て初日だと言うのに」
「いや、確かに、驚きました」
「いやいや、あんな事は村始まって以来じゃないかな? 少なくとも私がここに来て以来、警察が駆けつける様な事件は初めてだ」
飯尾九央は私の向かいのソファに腰掛けた。何故か世手代はその横に座り、九央にしなだれかかる。
クソッ、離れろ、私は心の中で悪態をついた。
「あのもじゃもじゃ頭の探偵さんもこちらにお世話になってると昨夜お伺いしましたが……」
「ああ、万画一さんだね。彼は昨夜から警察の人と行動してるみたいで、こちらには帰って来てませんよ。まだ原賀家にいるのじゃないですか?」
「あ、そうですか。それは気が付きませんでした。捜査は何か進展があったのでしょうか?」
「いやぁ、それは分からんなぁ。犯人は昨夜あの家にいた者に違いないのだろうがね。全く誰が何のためにあんな事をしたのか……」
苦々しくそう言う九央氏であったが、この男は一癖も二癖もある男の様だなと私は見抜いていた。
事件の事を話しながらも、右手で何気なく世手代の身体を撫で回している、
「そろそろお昼だって、奥様がお呼びよ」
「おお、そうかい、それじゃ、辰也くんも召し上がって行くが良い。ゆっくりしていってくれ」
そう言って私たちはダイニングへ戻った。
ダイニングへ戻るともう一人、この家の住人がいた。高校生くらいの娘で、来栖というらしい。目元が母親に似て、なかなか可愛い。良かったら付き合えないかなと心からそう思った。
そうして、飯尾邸で主人の九央、妻の久枝、娘の来栖、そして、世手代と私の五人は豪勢なランチをたんまりと戴いた。
来栖はあまり喋ることなく、少しぼーっとしていた。少しオツムの回転が遅いのかも知れない。これはちょっと口説けば簡単に落とせるタイプだ。それに久枝奥さんも素敵だ。熟女の魅力とでも言うべきか、彼女の手料理は美味しかったが、彼女自身も食べたら美味しそうだ。そんな風に思ったものだが、まあそんなに急ぐ事もあるまい。今は世手代狙いで行こう。
ゆっくりとランチタイムを過ごし、その後、館の裏庭でゴルフの真似事をして遊び、いたって飯尾家の人々は私に友好的に接してくれて、非常に楽しいひと時を過ごした。
そして、帰り際には沢山の八ツ橋名物の生菓子を手渡され、皆さんによろしくと見送られ、世手代の車に乗り込み、飯尾邸を後にした。
私は帰り道に意を決して世手代に「やらせてよ」と言ってみたが、「ハイ、何?」と返事をされて、「あ、いや、何もです」と答え、結局、手出しも出来ずに原賀家へ戻って来た。
続く
注: この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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