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ハートにブラウンシュガー 10


 慌ただしい年末年始もいつのまにか過ぎ去って、街も人も日常の落ち着きを取り戻し始めた。
 ブラウンシュガーの面々(リーダーでドラム担当のクマこと茶倉満男・ベース担当のサブこと佐藤三郎・ギターのレイこと真柴玲、そして紅一点ヴォーカルの田中ティナ)はそれぞれ束の間の休息を過ごした。
 ティナは埼玉の実家で数年ぶりに幾日かを家族と共に過ごした。去年少し体調を崩した母親が一人で商売を続けて行くのが心許なくなり、姉のリイサが勤めていたキャバクラを辞め、店を継ぐと言い出したのだ。今は『鯛焼きのたなか屋』となっているが、元々は明治以前より続く老舗の和菓子屋であった。その三代目だった父の亡き後、仕方なく今のような形態になったが、リイサは父親から和菓子作りの手解きを受けていると言い張った。
 それならば実際作ってみせろと言う妹の言葉に乗せられ、リイサは派手な私服の上に割烹着を羽織り厨房の隅で餡を煮炊き、芋や栗などをヘラと裏漉し器などを使っていくつかの和菓子を拵えた。
 正直、形はやや不細工というしかなかったが味は思いの外、不味くは無い。これがモノになるのかどうかはティナには判断し兼ねたが、幼い頃に食べた父の和菓子の味を思い出して、頭ごなしに反対は出来なくなった。何よりリイサがやる気まんまんでいるのが不思議で、それはどうにも止めようが無い事実のように思えた。
「そんなに言うならリサコの思うようにやってみたら、カメコがあんな状態なんだし」
 それが最終的にティナが出した答えだった。因みにリサコはリイサのことで、カメコとは母のことだ。
「そうよ。心配しないで、あんたはあんたの道を頑張んなさいよ」とリサコは妹のティコに笑ってみせた。

「果たしてどうなるやら」
 それは東京に戻ってレイのアパートに顔を見せて顛末を話した時のティナの結論であった。
 レイの方はと言うと、そんな話を幾分羨望の面持ちで聞いていた。呆れて突き放すような口調であったが、ティナのどこか嬉しそうな表情を垣間見た気がして、ほっとする反面、寂しさを覚えたりもした。
 ロックをやりたくて成功するまでは帰らないと誓ったレイは未だに故郷へは帰れない。帰ったところでそこに自分の居場所はない。勘当を言い渡された父母とはすでに十年近く音信不通だ。帰る場所も行く所もなくこの年末年始、狭いアパートの部屋でひたすら曲作りに明け暮れていた。
 曲作りは意外に上手く行った。面白いもので一曲作ると芋づる式に別の曲の構想が持ち上がる。こんな曲を作ったから次はこうしようとアイデアが不思議に次々と湧き上がって来て、それはそれで楽しかった。Aレコードでいろんな経験を積み、別の人の楽曲を聴き、自分なりに思うところを創作活動への学びに変えて行った。その積み重ねが経験としてあったからだろう。特に音楽プロデューサーのKからは多くの刺激を受けていた。
 Kのようなタイプはこれまで地下のライヴハウス中心に好き勝手にギターを掻き鳴らしていたレイにとっては接点がなく、おそらく違う出会いをしていたなら口を利くことさえなかったであろう。苦手なタイプだと思った当初のイメージは練習やステージをこなす内に次第に変貌して行った。
 口数少なく要点だけをピシリと言うKの指摘は常に核心を突いていて、反目したとしても反論の余地が無かった。それだけ音楽的レベルの立ち位置の違いを見せつけられ、レイは幾度かハナをへし折られた気がした。
 そんな悔しさをバネにという訳では無いが、作曲への取り組み、アレンジにおけるギターのフレーズの入れ方、そのパターンなど、いろいろと工夫を試みることに時間を費やした。インプットをすればそれだけアウトプットの引き出しが増える、それを身をもって体験した昨夏からの数ヶ月であった気がしてならない。
 今年は勝負の年になるかも知れない。そんな予感にレイは心震える瞬間を感じていた。
 クマとサブに至っては、家業の手伝いに明け暮れていた。有限会社茶倉建設の社員でもあるクマは父である社長の跡継ぎとして大事なポジションを与えられている。家に帰れば妻の涼子と一歳になる娘の彩花の父だ。もちろんブラウンシュガーとしてバンド活動は今後も続けるつもりではいるが、メジャーデビューするかどうかについては特に意識していない。
 サブもクマと似たような立ち位置ではあるが、独身の気軽さも手伝い、身軽にあちらこちらを回遊しては常に面白いものを模索している。しかも家業の酒屋は兄が中心となって切り盛りしているので、繁忙時に配達に回ったり倉庫の整理など雑用が主で、真剣に取り組む必要もない。
 クマと二人でブラウンシュガーを始めてから数年経つが、昨年ほど、激動の一年になったことは無い。以前の地下ライヴハウスでの熱狂も楽しいものではあったが、それはその場限りのもので、いつまでもこのままでという訳にはいかない。それは次々に移り変わるバンド仲間や客層などの空気が自然とそれを感じさせた。
 そんな時にAレコードから来た話、それはあくまでレコードデビュー出来るかどうかを見極めるための新人コンサートツアーであったが、ロック以外の音楽とも交われる新しい場所でもあった。特にヒップホップ系の人達との接点はこれまでには無かった。そこには『ノア』というユニットが存在し、メインで歌とダンスを披露するマリンにすっかり魅了されていた。それだけでもサブにとっては楽しく画期的な一年だった。
 もちろんサブにしてもプロ志向が無いわけでは無い。ただ自分がどの分野に向いているのか、それもまた模索している最中であった。
 楽器としてはベースを担当しているが、歌も歌えなくもない。コンサート中のMCは殆どサブが務めたし、軽妙な話術でその場を和ませるのは得意である。まだ誰にも話したりはしていないが、そっち方面で活躍出来そうなそんな才能を自身に感じたりもしている。そうなればマリンちゃんとももっとお近付きになれるのではないかと、密かに夢想するのであった。
 
 さて、そんな中、春のコンサートツアーのためのリハーサルが始まった早々、一つ目のニュースがブラウンシュガーの面々に伝えられた。
 それは、『ノア』と『バーンズ』が正式にAレコードと契約を取り交わしてメジャーデビューすることが決定したという報せだった。
『バーンズ』というのは秋のコンサートツアーで同行した歌とダンスを中心としたパフォーマンスが人気の男性4人組からなるユニットだ。
 通常、Aレコードは毎年この新人コンサートツアーの中から二、三組をメジャーデビューさせている。これで、その内二組が決定してしまった訳だ。もう一組あるかないかはこの春のツアーで決まるのかとメンバーや他の参加者達は浮き足だった。
 尚、ノアとバーンズはデビューのため別のレッスンに入るためか、ツアーには新しく別のグループと一人が参加することになった。
 グループは軽音楽系のバンド、スピッツやback numberなどのカバーを得意としていた。もう一人はアコギを弾き語りする女子だった。ほんわかとしたイメージと言葉使いながら、たまにチクリと恋愛の鋭い視点を歌詞に乗せて来る。
 それに昨年も参加していた女性演歌歌手の春風祐希、それに透き通った歌声が魅力の柳町亨がいる。彼らとはライバルでもあり、同時に仲間でもある。それぞれ音楽のジャンルが違うことがある意味救いであった。
 しかしながら、ノアとバーンズのデビュー決定のニュースはある程度の予想をしていたというもののブラウンシュガーのメンバー達にショックを与えた。クマとサブには今まで一緒のステージを務めていた仲間に対し、祝福の気持ちもあるが居なくなった寂しさで心にポッカリ穴が開いた状態だ。
 悔しさをいっぱい胸に充満させたのはやはりレイとティナだ。レイは拳を握り締めて壁を殴りつけると、収まらない気持ちを静めるために外へと飛び出した。
 ティナは一文字に唇を噛み締めて何も言わない。フロアの一点を凝視している。ティナにしてみればノアのマリン以外の二人、ミユとマユは元いたユニットの同じメンバーだ。それがその時メインでヴォーカルを務めていたティナより先にメジャーデビューしてしまうとは、その時には思いもしない事であった。
 マリンというスター的要素のあるメンバーと出逢い、テクノポップ系に路線変更したことが成功に導いた訳だが、先を越された事実に変わりは無い。それは悔しさというより、ティナを脱力させた。
 それからの数回は殆ど身の入らない練習が続いた。クマとサブは相変わらずリズムを乱さない事だけに集中し、レイは心ここにあらずの状態でエレキの音量は時に小さく、別の場面では無駄に大きくなったりする。ティナのヴォーカルは一見変わらないように思えるが、ニコリともしないその無表情さに歌声もそれに同調する。この春のツアーにはKのサポートが入らない事も伝えられていたので、姿を現さない。ここは自分達の力で乗り越えて行かなければならないのであった。

 そんな状況のまま、2月も後半になり春のコンサートツアーが開始された。セットリストは昨年作ったオリジナルを中心にロックの定番曲を随時入れて行く。『スタンド・バイ・ミー』や『イマジン』などはウケも良く、年齢に関係なく支持される。
 クマはKがサポートに入らないこと、レイとティナが共に浮かない顔付きであること、サブも含めて全体的にどんよりした雰囲気の中でツアーが始まった事に若干の不安を感じていた。
 それでも幕が上がれば、それなりの演奏が出来た。手応えという程ではないが、昨年の経験がバンドとしてのレベルを引き上げていたことは間違いない。
 自分のドラミングも含めてサブのベースライン、レイが奏でるギターリフ、そしてティナのヴォーカルは相変わらず人を惹きつける力があった。
 どこをどう指摘する部分も見当たらない。客を前にすれば皆がセミプロ以上の演奏を楽に出来る。それを実感し、少し安堵の胸を撫で下ろした。
 しかし、どこか、ハリが見つからない。無難に演奏は進んで行く。サブのMCも相変わらず調子が良い。それでも何故か、どこかしら何かが欠けている様な気がしてならない。それが何かは分からない。言葉にならないもどかしさが胸に澱んでいた事は確かだった。それなりにステージを終えてもどこか消化不良、モヤモヤした思いに取り憑かれていた。今この演奏を聴いてKならなんと言うのか、それをクマは絶えず考え続けた。

 事件が起こったのはそれから何度目かのステージの時だった。確か『スタンド・バイ・ミー』の演奏中だった。2コーラス目が終わりここでレイのギターソロが入る。その瞬間、一瞬の空白があった。瞬時メンバーはハッとして互いの目を走らせた。
 一拍遅れてレイのエレキが鳴り出した。
 観客席の中でそのミスに気がついた者がどれくらいいたのか、それは判らない。大半が気付かない程度だったようにも思える。けれど、演奏していたメンバー、またはその曲をよく知る者には直ぐ気付いてしまう。一拍遅れて始まったレイの間奏はズレたまま間奏を終えた。そのため間奏後ティナの歌い出しにも細やかな影響を与えた。
 レイにしては珍しい、単純なポカだ。何か別の事に気を取られていたらしい。これが秋のライヴの時であれば即座にKがキーボードでカバーして、そつなく曲を繋ぐ筈だろう。

「ちょっとどうかしてました。すみません」
 ライヴ後に全員で立ち寄ったファミレスでレイはその日のミスを謝った。
「いや、今までにもこの程度のミスは何度かあったよ。特に秋ツアーの前半にオレやサブはよくミスった」
 クマはメロンソーダのストローを口に咥えたままそう言った。
「だからオレは今日のミスひとつのことで何か言いたい訳じゃない。だけど、よく考えてくれ、お前達、いや、オレも含めて全員。この頃何か変じゃないか?」
「変? ……って言われても、う〜ん、よく分かんないなぁ」サブがバナナジュースを一口飲んでぼやく。
「この所の演奏について、何か思うことはないか?」
 レイとティナはブラックコーヒーを前に神妙な顔をしていた。クマからの質問に誰も口を開こうとしなかったが、その表情からクマにはみんなが自分と同じような気持ちを抱いていることを察した。
「ミスをしたから言ってるんじゃない、オレはこのところの演奏があまりにも無難にまとまり過ぎて、なんだかつまらないんだ。具体的にどこがどうとかはよく分からないんだけど、なんていうか、その、つまり、あれだ、演奏後に充実感や一体感みたいなものが感じられずにいたんた」
「充実感と一体感?」サブが首を傾げる。
「ああ、そうだな、お前達風に言うと、やり切った感かな? ちょっと言葉にするのは難しいんだけど、どこか気持ちの盛り上がりみたいなものに物足りなさを感じてしまうんだ。みんなはどうなんだ?」
 暫しの沈黙の後、レイが口を開いた。
「確かに、やり切った感は湧いて来ないですね」
 すると、ふいに思い付いたかのようにサブが
「それは、やはり、ノアとバーンズに先を越されたからか?」とストレートな質問をした。クマが切り出そうとして躊躇っていたことだ。
「そんなことは無い!」
 すかさずティナが激しい口調でそれを否定した。
 ほうというため息が漏れる。
「ホントにそうか?」
 穏やかにクマが聞き返す。
 やや間を置いて、
「いや、正直に言うと、俺は確かに、焦りがあると思う」とレイは言った。
 その言葉にクマは二、三度軽く頷いた。
「そう、それは当然だろ。いつのまにかオレ達は競争のレースの中に組み込まれてしまったんだ。ただし、それは悪いことじゃない。現実にオレ達のバンドとしてのレベルは以前より数段上がっている。ステージが変わってしまったんだ。今やっているのは地下の小さなライヴハウスじゃない、もっと大きなステージだ。でもどこでやってもオレ達はオレ達だよ。演奏技術が上がったことは単純に喜ばしいことだ。でもオレ達がバンドをやる上で感じたかったことは、その、さっき言ったやり切った感だ。それを感じたくてオレとサブはブラウンシュガーを始めたはずなんだ」
 サブもクマの言葉に頷いて答える。
「そうだ、バンドやるのにプロもアマも関係ねぇ、何か気持ちがすっとするようなことやろうぜって、あの頃はそう言ってた」
「まあ、もちろん、オレ達とお前たち二人が目指してる部分は違うのかも知れんが、今は一緒のバンドのメンバーだ。お前たちだってバンド始めた頃はオレ達と同じ様な気持ちでいたんじゃないのか?」
 クマの言葉にレイもティナも何かを考え、思いを巡らすように深く息を吸い込み、どこか遠くの方を見るような目をした。
「さっきは……」とティナ。
「うん?」
「さっきは、きつい言い方になってしまってごめん。先越されたって言われて、頭に血がのぼった」
「いや、悪かったよ」とサブ。
「ううん、いいの、本当のことだから、ただ今はあの子達のことを考えたくなくて、自分のことで精一杯だったかも知れない」
「こいつはいつも無神経だからな」
「いやいやいや、そんな風に責めないでよ」
 クマとサブのやり取りに少し場が和む。
「けどね、妬んだりやけになってるなんてことはない。あの子たちはあの子たちだから、ただ上手く気持ちの整理が付かなくて、今このステージで歌ってる意味さえ分からなくなって、それで集中力を欠いてたかもしれない」
「それは俺もだ。知らない内に気のない演奏になってたと思う。それが今日のミスに繋がったんだ。悪かったと思う。すまない」
 レイが頭を下げる。
 クマはそんな二人の話を噛み締めるように耳を傾けていた。そしてメロンソーダで喉を潤した後、再び穏やかな口調で話し始めた。
「いいか、オレは上手く演奏出来なかったから説教してやろうなんて思ってる訳じゃないんだ。あんなニュース聞かされていつもと平常でいろなんて言う方が無理だ。悔しくて当然だよ。だけど、それに惑わされて自分達の演奏が変になっちまって、やり切った感さえ失ってしまうのがイヤだったんだよ。それだけだ。今日のレイのミスだって何とも思ってない。ホントだよ」
「はあ、でも、今日のはホントに……、カッコ悪かったっす」
 レイはいまだに気にしているようだ。
「次からは気を付ける様に」
 これは声のトーンを変えたティナのジョーク。
「いや、悪かったよ。迷惑かけて申し訳ない」
「もう、本気で謝らないでよ」
 ティナは苦笑いを浮かべる。
「でも、俺は本当に負けることが嫌で、最近はそんなことばかりに気を取られていたと思う」
 レイは素直な口調で心情を吐露する。
「だけどさー、相手はダンスパフォーマンスのチームとテクノポップのガールズだぜ。そもそもロックバンドのオレらが戦う相手じゃないさ」
 サブの言葉にも一理ある。今の時代はロックバンドよりそういったユニットの方が売れるらしい。
「そりゃそうだ。レコード会社としては売れるものを選ぶんだろ」
「あ、オレらが売れないって認めちゃったね」
「バカ、そういう意味じゃないんだ」
「分かってるよ。相変わらず冗談が通じないねー」
「揚げ足を取るような冗談はやめてくれ」
「ハイハイ」
「お前の場合はアレだろ? 単純にマリンちゃんに会えなくなった寂しさで気落ちしてるんだろ?」
「な、な、何を言うんだ。ったく、それをここで言うかい?」
「違うのか?」
「……いや、違わないけど」
 クマとサブのやり取りにみんな笑う。
 やっといつものペースに戻りつつある。
「でも、オレ達にはオレ達なりの良さがあるはずだよ。残りのライヴはオレ達のロック魂で、やり切ってやろうぜ。結果なんてどうでもいい。もう一度やり切った感をみんなで味わいたいんだ、オレは」
 クマの言葉に4人はそれぞれ頷き目を見交わした。そこにはキラキラとした微笑みも含まれていた。


 そして再びコンサートツアーのライヴを何本かこなした。ブラウンシュガーの演奏もやっと手応えらしきものを見つけ出して、徐々にではあるが、オリジナル曲もファンの間でチラホラ話題に上がる様になった。中でも『It's gonna be okay!』と『月の泪』は演奏後の拍手などの反応が良い。それから『ティナのテーマ』もなかなかの人気曲だ。
 もしシングルデビューするならこの中のどれかだなとサブは勝手に思い描いていた。その時には自分の書いた『サヨナラにはまだ遠い』をカップリングとしてはどうかな、などと、夢を膨らませ、眠りにつくのであった。

 そんな折、3月も中頃、春のツアーも残りあと僅かになった頃、Aレコードから二つ目のニュースがクマの元へ届いた。
 
【来たる3月某日、今後の契約につきまして重要なご報告及びご相談がございますので、本社会議室までお越し下さるよう、お願い申し上げます。
 Aレコード株式会社 シニアディレクター 松尾理まつおおさむ





   〜ハートにブラウンシュガー 11に続く〜

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