覚えているほど大事なことはだいたい面倒だったこと
こんにちは。
世田谷三宿の珈琲&スパイスのお店、SCHOLE店主のシマサキタツローです。
noteではほとんど話せていませんが、
実はわたし、昨年秋より「落語」をはじめました!
※聞く方ではなく、演者として噺をする方
いままでの私は「落語=笑点(これは大喜利だけど)」ぐらいの認識しかありませんでした。
そんな私が聞く方を飛ばして、まさかの噺す方へ。
なかなかの挑戦です。。笑
バタバタ練習をしてる内に月日は過ぎ、つい先日1月20日に落語の初舞台を迎えました!
与えられた持ち時間は15分。
一生懸命に噺し切り、なんとか大きなミスもなく、終えることができました。
ほんとにホッとしています。
ほんとにホッとしている。(2回言っとく)
この3カ月ぐらいはずっと頭の片隅に落語が居ました。
脳のキャパを常に2割ぐらい持っていかれている感じです。
練習は大変だし、
人前で話すのは緊張するし、
たいてい恥をかくことになる。
別に落語なんて人生において
必ず通らなければならない道ではありません。
それなのに
なんで私はこんな面倒なことに首を突っ込んでしまったのか。。
後悔の日々でした。
でもね。
落語をしているというと皆が興味を持ってくれるんです。
本番に向かうにつれて頑張れと言ってくれるんです。
本番はお客さんの笑顔を近くで見ることができるんです。
まだまだの私に「良かったよ」って言ってくれるんです。
すると今までの苦労や面倒がどこかにいって、ものすごい満足感が生まれてくる。
幸福感みたいな満足感。
「大事なことは大体面倒である(宮崎駿)」とはよく聞きますが、本番までの落語体験を通して、身をもって実感した気がします。
この気持ちはおそらく
この後の人生でも忘れないんだろうなって。
将来振り返ってみて大事に思えているような思い出は多分だいたい面倒くさかったことです。
簡単で便利に乗り切ったことは今は大事に思えるかもしれないけど、振り返ると実は案外自分の中に残っていないことが多い。
面倒で人が通らないから人から注目されるし、人に応援してもらえる、自分の中に後々まで残っている。
そんなことを多く残せる人生にしたいですよね。
そういう面倒はどんどんやっていきたいと落語から学びました。
今日はそういう話。
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SCHOLE(スコレー)店主
シマサキタツロー
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