これぞジム・ジャームッシュのなせる技
"映画"に求めるものは人それぞれだろう。
劇的な展開やドラマティックな出会い、ダイナミックなアクションや大どんでん返しのミステリーなど。
そして誰もが祝福するようなハッピーエンドや、あたたかな結末が待ち受けている。たまに観る側に問いかけるような含みを持たせたラストシーンがあったりなんかして。
大抵の作品が物語という形式をとっている以上そうなることが多いし、観る立場の我々も心のどこかでそれを期待してしまっている。
しかし、私が敬愛するジム・ジャームッシュ監督の映画の中では特筆するようなハプニングや突飛な出来事はあまり起こらない。(数作品を除いて)
明日の朝には忘れてしまいそうな知らない誰かの日々がほとんど。
そんなところに私は魅力を感じずにいられない。
日々起こる、誰の目にも止まらないような出来事や流されていってしまうような時間を見逃さずに、一つ一つ掬い上げていってくれる。
それを更にキャラクターや音楽、ファッションで装飾して彼にしかできない作品に仕上げていく。
そのバランスと色付け方が良い塩梅で、一言で表現すると"センスの塊"だ。(彼にこんな定型句を贈るのはちょっと恥ずかしいけど)
近年の作品だと「PATERSON」を観たときに、より一層感じた。
少し奔放なクリエイティブな妻と言い合いになったり、パターソンがBARで飲んでる間にマーヴィンが連れ去られたり、バスの客に怒鳴られたり...なんて展開を頭の中では選びそうになるけど、そんな出来事はこの映画には必要なかった。
ルーティンをこなす日々、パターン化された日常。
そんな毎日でも"同じ毎日"なんてものはない。
だって「何があっても日は昇り、また沈む。毎日が新しい日」だから。(作中から抜粋)
当たり前の事実なのに忘れられがちな真実。
自分では退屈で何でもない毎日だと思っていても、ジム・ジャームッシュの手にかかれば、そんな日ですら誰かの退屈な毎日のスパイスになる。
実際のところ、自分の身に起きてないことは非現実的でファンタジーに近い。
とか考えてたら、たまには日々のちょっとした出来事を誰かに話してみるのも悪くはないのかも。
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