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大切な人との関係性:発達特性ASD

私には大切な人がいるけど、
ASDによる影響もあってか、
ずっと一緒とか近すぎる距離感を
うまく維持できない。

だから、子供たちとでさへ
ずっと一緒が難しい。

だけど、
大切じゃないわけではなく、
むしろ大切すぎて難しい。

私の世界にはあまり人がいない
というのは、
私に影響を与える程の人が少なく
殆どの人は自分外にいる。

そして、数少ない影響する人は
私の中にいるのだ。
どうしても同化してしまい易く
そうなると自分と他人の境界が
薄れていってしまうのだ。

そうなった時に、
私は自分自身を維持することに
ものすごく苦労する。
相手に合わせてるってことじゃなく
行動の指針から私が消えていく。

そんな感じになる。

子供がしたいことを一緒にしたり
行動している時も楽しい
その楽しい・嬉しいは私のもの
だけど、きっと一緒にいる人の
空気とともに楽しいであって、
私自身がそれを好きかどうかが
よく分からなくなっていく。

私って、何が好きなんだっけ?
私って、何がしたかったんだっけ?
私って、どんな人間だったっけ?
私って、何を大切にしてきたんだっけ?

そういう感覚に陥った時、
私はリセットしようとする。
ここに存在することの意味、
誰かと一緒にいることの意義、
自分のしていることの必要性、
色んなことを見失ってしまう。
そんな感覚が襲ってきていた。

だけど、
子供が3人になったり、
家族や大切な人の存在が増え、
大切が分散した時に気づいた。

全部私の大切だし、
握りしめることはできない。
それでも、
私の大切には変わりない。
一緒が続かなくても良いんだって。

私の抱えられる範囲を
遥かに越えていく大切に
それで良かったことに
気付かされた。

範疇を超えることって
すごく大事だ。
完璧主義や視野狭窄を
突破して、破壊していく。
そもそも無理なことに
私はずっと必死だった
しがみつこうとして
出来なくて、私も無理で、
そんな自分がいつしか
拒絶されていくことが
怖くて恐くて逃げ出す
そんな愚かな自分に
気づかせてくれた。

子供が二人なら、
二人とも抱えて走れるけど、
3人になった途端諦める。
走れるやつは自分で走れ〜
って、それぞれの力を信じる
それしか無くなる。

だけど、そもそもが
それでいいんだって、
そんなことを
伝えてもらえた。

それぞれで十分大丈夫。
だけど、それでも、
一緒にいたいくらい好きな人

何かを頼っているから
何かを任せているから
何らかの関係性上で
大切なんじゃない。

ただ、あなたと一緒にいたい
一緒に楽しんだり、話したい
そういう時があって、

あなたとじゃなきゃ
感じることのできない気持ちが
たくさんたくさんあるから
とても大切に想える人。

そういう人がいることの幸せを
感じられるようになれた。

これって幸せなことなんだと思う


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