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自分にとっての『かけがえのない瞬間』をみつけて創ること

私は割と生きづらいヒトの部類だったと思う。
特性的に言えば…

細かなことに気を取られて、
物事の進行を理解し辛かったり…。

コトバが不足しがち・説明が苦手で、
他人との意思疎通に難しさがあったり…。

左利きや発達障害グレーによる思考の偏り、
その特性による人との違いを知らずにいたり。

私のような人は、実は沢山いるのだなと
最近は思えるけど。
これまでは、何かうまく行かないのを
自分の性格や人間性の問題のように感じて、
それが一番辛かった。
だって、それって自分自身の否定だったから。

そういう私だったけど、
もっと私自身を悩ませていたのは
ヒトのことが好きだったからだと思う。

私は特性的派には生きづらい人だけど、
人には恵まれて生きてきた。
祖父母や家族・親戚、ご近所さんにも、
私は大好きな人が必ずいた。
色んな人との時間が私は好きだったし、
色んな人とのかけがいのない時間が
今の私をつくってくれていると感じる。

それくらい、私は色んな関係性の人からの
親しみや優しさや愛情を受け取らせてもらった。

私にとって宝物なのだ。

そんな風に愛されてきたから
私も人への気持ちがあって。
だけど、その気持ちを伝える手段や方法が
少しずつ人とは違っていた。
もう一歩で伝わることも伝わらなかったり。
その方法じゃ私には無理なのに、
無理な方で表現してしまっていたり…。
それが、なぜだか分からず混乱していた。

そんな私が40歳を迎えた。
私の人生は上記のような状態によって、
就職した22歳からずっと難しかった。
もっと言えば、10歳から割と大変だった。
仕事をしても…
結婚しても…
子育てしても…
離婚しても…
家族の中でも社会の中でも


いつも、同じような難しさに
悩み、迷い、哀しみ、手放す…。
その連続だった。

だけど、40歳を前に急に人との関係性の
築き方が変わってきたように思う。
私が何をすると、人が喜んでくれたり、 
人の為になれるのか。
それは、私にとって難しいことではなく、
私の為にもやっていることなのだけど。
そんな行為の中に、人の役にも立てている
『なにか』を見つけ始めたからかもしれない。

そして、そんな小さな行為のなかに、
私は自分の気持ちを込めて
届けたり、伝えたり、手渡せるようになった。
周りから見たら、全然分からないけど、
私の気持ちを受け取ってくれる人が
確実に居てくれることを知ったし。
それが、私の仕事の大切な一部であり、
看護、家事、家族・仲間との時間、
どんな時も私はそれが出来ていれば、
自分に意義と達成感を持てるし、安心できる。

そんな『なにか』を感じられるようになった。

だから、人との関係を築くときに
これまでいつも付き纏っていた不安が
今の私には殆どなくなった。

それが、40歳になって幸せだと感じられたこと

これからも、何気ないけど、私らしい行為に
言葉にはならない大切な想いを込めて
手渡していきたい…

分かりづらくて、細やかなものだけど、
響き・受け取ってくれる人に届けられる 
かえがえない大切な瞬間のために





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