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アスファルトの草と、心の声

コンクリートからの草
よくみかけるけど、私は「それ」を見るとすごいといつも思います      

私は草ではないけれど、でももし私が草ならば「根性あるな」
と感心して、うらやましくも感じるかもしれたせん

ついつい気になり、Googleで<アスファルトの草>と検索してました

多少の土と、水、光があれば、思う程環境悪くないそうですよ、育つのに
誰も草の気持ちは知らないと思いますが
また、草に気持ちは無いのだろうけど

その草はのびのびと、自分ひとりで楽な気持ちでいるのか

誰かに自分の存在をアピールしているのか

種から芽を出す事も、今成長しているのも、幾つかの条件が重ならないと今はない

私も、会社の組織の辛いスパイスと、少しの甘みある趣味の楽しみと、子供の成長と色んな条件が重なり成長しています
ある程度、自分でどうにも出来ない現実は、すんなり吸収して受け入れたい

そんな私もまた、だれかの成長のための何かになってたりしてるんですよね
言葉や行動、責任持たないと!ですよね

皆に綺麗とおもわれなくてもいいし、全員の目に止まらなくてもいい

のびのびしてたいから集合体みたいな草では嫌です

がっしり、どっしり根付いて、でも風を感じて風に揺られ、雨も喜んで受け入れます、季節も感じます

たまに誰かの目にとまるような草でいたい
全く見向きされないのも、さみしいですから

贅沢なものですね

思うのは自由です、そうできたら幸せです、だから少しでもそうなる為に
自分の思いを書いておきます、いつでも読み返せるように

まとまりのない文章でした、自分の心の中の声です
今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。

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