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人生のどれくらいの時間を電車の中で過ごしているんだろう

ぷらぷらと夜の街を歩きながら、ふとそんなことを考えた。今日は曇りだ、あいにく月は見えない。

わたしは元々旅好き・移動好きな人種なので、長時間電車に乗るということにさほどの苦痛を覚えない。高校生の時も、毎朝片道2時間の通学路をのんびり1人で電車に揺られていた。
別に、辺境の生まれでそうせざるを得なかった、というわけでもなかった。
生粋の首都圏生まれ・首都圏育ちである。
ただ、元来の性格なのか、長く人と付き合うことが苦手で、小中と付き合った友達とサヨナラをして、全く新しい人間関係を作りたいな、と中学3年生の私はそう思っていた。
友人が嫌いになったわけでも、不仲になるような事件があったわけでもない。
クラス委員を毎年やる程度のコミュニケーション能力と、中の下くらいの偏差値。いじめはなかった。
でも、どこか人間関係に冷めていた。

高校に通う片道2時間の通学時間、相棒はもっぱらMDプレイヤーと文庫本だった。何を読んだのかは覚えていないし、何を聴いていたかは曖昧だ。でも、時折通学で使っていた路線を大人になった私がなぞるたび、ふとApple Musicの検索欄に手が伸びる。
友達が好きだったJanne Da Arc、夕焼けを見ながら聴いたスピッツ、Mr.Children。
武蔵野線は、まだ三郷のあたりが地平線も見渡せるようなすすき野原だった気がする。

結局他人との付き合い方のスタンスは大人になっても変わらず、転職を繰り返すたび、人間関係はリセットされた。
寂しさを感じないわけではないが、そこはやはり性格で、無沙汰は無事の便り。などと思っている。
高校生からの電車通学・通勤も、大学社会人と続いたが、大人になった今も何が良いのか片道1時間の通勤を続けている。

もちろん、あの頃と違って朝早起きなんてできなくなったし、帰りはヘトヘトになるくらい疲れ果てている。それでも、耳にはイヤホンをつけて好きな音楽を聴き、あの頃と変わらず窓の外の景色を楽しんだり、浮かんだ言葉をノートに書き留め、景色の代わりにファイルしたりしている。

人間五十年、下天のうちを比ぶれば…

信長はそんな一節を唄ったなんていうけれど、37才の私はあとどれくらいの時間を電車の中で過ごすのだろう。

たくさんの夕日を、月を、眩しい太陽をまだまだ見られるだろうか。
50年目の私は、ああ、いい人生だった。そう言って
電車から降りられるだろうか。

如月の満月などとうに終わった何でもない夜に、そんなことを考えている。

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