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今日もはーたん

注:娘の誕生日直後、一気に書いたものなので、かなり感情的です。笑


はーたんが1歳になった。

名前の一文字をとってはーたん。
毎日毎日呼び続けるうちに、こんな呼び名になっていた。

予定日を過ぎてもなかなか生まれず、
入院して出てきてもらおうとしたけれど、
最後はお腹のなかで高熱を出してしまい、
自力で出てこられず、帝王切開に。
もちろんコロナ禍で立ち合いも面会もナシ。

出産こそ大変だったものの、
娘は健康で育てやすい赤ちゃんだったと思うし、
わたしも比較的メンタルが安定しているほうだと思う。(自分では)

それでもこの1年間、
しくしく泣いたことも、おいおい泣いたことも、何度もあった。
その度に夫と、どうすれば泣かなくて済むのか話し合いを重ねて、
もう話し合いたくないわ!と口に出すくらい重ねて、
そのおかげで、母親に少しずつなれていったような気もする。

初めてのことばかりで、どうしたら良いかわからない、というのが大きかったと思う。
一人の小さな命を預かって、
自分が何かミスをしたら命がなくなってしまうかもしれないというプレッシャー。
それまでとは全く違う、当たり前に自分が二の次になる生活。
思った通りに事が運ぶことなんてほとんどなくて、
知らず知らずストレスが積み重なっていく。

一般的に育児が大変だと言われるのは、
そういう部分からなのかなあと、実体験からは思う。

ただ、娘が可愛くなかった日は一度もない。
もちろんその時々の複雑な感情と共存はするけれど、
可愛いという気持ちは、本当に、常にあった。それは断言できる。

もともと子ども好きだったわけではない。
嫌いではないけど、あえて好きと言う感じでは全然なく。
でも、生まれてみたらものすごく可愛かった。

生まれたばかりのころは、1歳なんて果てしなく先に感じて、
夜中に授乳をしながら途方にくれたこともあった。
でも過ぎてみれば、可愛い可愛い、と愛でていたら
1年はあっという間だったように思う。

誕生日の日、1週間働いてヘロヘロの中、
夫と必死で家の掃除とお誕生日会の準備。
1日バタバタしていて、感慨も何も感じず夜になってしまった。
寝る前にやっと落ち着いて、
娘の寝顔を見ていたら涙が止まらなくなった。

この子がいてくれることが嬉しくて嬉しくて、たまらない。

いないときには想像もできなかったよろこびをくれて、
たくさんの新しい経験をさせてくれて、
知らなかった感情をくれて。

日々豊かになっていく表情に、
感情を取得していっているのがよくわかる。

ずっと仰向けで寝ていて、
手の近くに置いたおもちゃを触るのも
ままならなかった1年前。

今は、椅子から椅子につたい歩きをして、
数秒なら支えなしで立っている。
こうすれば親が喜ぶと学習したのか、なぜか頻繁に頭を撫でてくれるし、
お気に入りのうーたんがテレビに映れば
叫びながら高速ハイハイで近寄っていく。

もう、昔の彼女には二度と会えない。
手触りや記憶はおぼろげで、
頭の中で写真や動画を再生しているだけのような感じもする。
きっと今この瞬間のことも、そのうち忘れてしまうんだと思う。

その分、毎日毎日アップデートされていく
新しい彼女と、全力で向き合い続けていく。

これからもっと心配なことも困ることもきっと出てくると思う。
何年経っても、どんな彼女でも、心から愛したい。

生まれてきてくれてありがとうと、
言葉にするとどうしても月並みに感じてしまう。
でも、生まれてきてくれて、今日も生きてくれて、
本当に本当に本当に、心の底から、まじで、ありがとうーー!!!!!

はーたん、らぶ!

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