増田早紀

【草加3ビズ26期生:まっすー】「つづるのーと」を企画運営しています。 ◆埼玉県草加市…

増田早紀

【草加3ビズ26期生:まっすー】「つづるのーと」を企画運営しています。 ◆埼玉県草加市在住の一児の母  ◆編集者/ライター6年目 ◆文章のこと、なんでもお気軽にご相談ください◯ https://fori.io/sakimasuda-tuzurunote

マガジン

  • つづるのーと

    「つづるのーと」についてはこちらから。

  • つぶやき

    心動いたときのあれこれ

最近の記事

  • 固定された記事

大切な節目に文章を残す。 「つづるのーと」をはじめます。

こんにちは。「つづるのーと」を運営している、増田早紀と申します。 明日は3ビズマーケット!出展にあたり、自己紹介もかねてこれまでの半年をまとめたいと思います。 3ビズのチラシを見たのは、シェアアトリエつなぐばのInstagram、そして娘を連れて行った小児科でした。笑 いまの会社で働いて5年ほど。そろそろ会社の名前に頼らず、自分個人として何かやってみる時期なんじゃないか。この1年ほど抱えていたそんな思いに、3ビズがマッチしたように思います。 体験ワークショップを経て申

    • はーたん、3しゃいになる

      近ごろはーたんが好きなもの。 じゃがポックル、コアラのマーチ、むぎちゃ。ミッキーのどうが、にゃんたくんのほん。あかちゃんペンギンのぬいぐるみ。おんぶ。 人見知りで、繊細で、自分の気持ちを言うのはちょっと苦手。 そんな娘が3歳になった。 去年は後回しにしていたら書き損ねてしまったので、今年こそ。書いたのは少し前。いまいちだった自分のコンディションが存分に反映されている文章です。笑 0歳から1歳は、身体の発達だった。 1歳から2歳は、言葉の発達。 2歳から3歳は、なんだ

      • 今日もはーたん

        注:娘の誕生日直後、一気に書いたものなので、かなり感情的です。笑 はーたんが1歳になった。 名前の一文字をとってはーたん。 毎日毎日呼び続けるうちに、こんな呼び名になっていた。 予定日を過ぎてもなかなか生まれず、 入院して出てきてもらおうとしたけれど、 最後はお腹のなかで高熱を出してしまい、 自力で出てこられず、帝王切開に。 もちろんコロナ禍で立ち合いも面会もナシ。 出産こそ大変だったものの、 娘は健康で育てやすい赤ちゃんだったと思うし、 わたしも比較的メンタルが安定

        • 娘が生まれた

          2週間ほど前に娘が生まれた。 予定日を過ぎての誘発分娩3日目の夜、緊急の帝王切開で生まれた娘。大変な部類に入る出産だったのかもしれないが、生まれてきた娘はあまり手のかからない子だった。 まず幸いなことに母乳がよく出るし、娘がよく飲む。泣いても、満腹になるとすぐに落ち着いて、3時間くらいまとまって寝てくれることも多い。夜通し泣く子もいると心していたので、想像よりも心身の負担なく母親生活がスタートした。 ところが、先日突然「寝かしつけ」が必要に。おっぱいを飲んだらすぐうとう

        • 固定された記事

        大切な節目に文章を残す。 「つづるのーと」をはじめます。

        マガジン

        • つづるのーと
          1本
        • つぶやき
          5本

        記事

          はじめてコロナを感じた日

          こんにちは。ますだといいます。 もうすぐ出産なので、田舎に絶賛里帰り中。菜の花満開の土手を散歩するのが日課です。 最寄り駅まで15分、コンビニまで5分、もちろん車で。そんな場所に実家があるので、車のないわたしは家に引きこもるか、近くを散歩するしかやることがありません。家族以外で人と会うのは、土手ですれ違う数人のみ。 この生活は、たぶん新型コロナウイルスが流行っていなかったとしても、ほとんど同じだったはず。だから、毎日テレビの報道を見ても、自分の生活に大きな影響はないなあ

          はじめてコロナを感じた日

          高校生のわたしが書いた、原爆と平和のこと

          今までの人生の中で、何本か「文章書いたな」と思えるものがある。 そのひとつが、高校2年の修学旅行で広島に行ったときの感想文。わたしは、平和学習係みたいなのになっていたので、文集に感想文が載った。 それは、わたしが初めて母親に褒められた文章だった。 母親は国語教師。でも子どもの書く作文に干渉することはほとんどなく、書き方を教えてもらうということもなかった。たまに見せても、褒められもしなければ直されもしない。文章を真ん中に置いてみると、わたしと母の関係性はそんなものだった。

          高校生のわたしが書いた、原爆と平和のこと