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【絵本屋さん日記】 プレオープンの前日

※1ヶ月前に書いた記事です。

2022年10月15日に絵本の店 omamori をプレオープンして、早3週間が経った。一日一日はかけがえのない言葉や感情との出会いに満ちているのに、タスクに忙殺され、いつの間にか最初から無かったことのように忘れていってしまう。

お店を始めたばかりの今の時期は一生に一度の大切なものなので、せめて少しでも記憶が続くように、そして誰か必要とする人へ届くように、簡単に日記をつけてゆくことにした。

お店では主にお客様と接するなかで言葉や感情が生まれるのだけれど、なるべく出来事の話ではなく、自分の内面にフォーカスした日記を書いてきたいと思う。



まず、プレオープンを間近に控えた日々のことを。
プレオープン初日は土曜日だったので、その前の連続した平日について。

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やることは数え切れないほどあって、その多くは淡々とこなしていくべきことなのに、どうにも手が付かない毎日だった。原因は理解していて、それは仕事だけでなくプライベートも織り混ざり、簡単にはほどけないようになっていた。プレオープンを前に、やや逃げ出したいような気持ちにもなる。なにより、ひとりなのがしんどかった。なにをするのも、しないのも、判断するのは自分だけ。誰も答えを持っていないし、わたしも誰にも求めていない。

プレオープンという日にどのような意味をつけるのかも、自分が決めるしかなかった。手を抜くことも、心を込めることも、自分の塩梅でやるしかない。もとより極端な気質なので、やるかやらないか、の二極に振れてしまいがちになる。ほどほどにすることが苦手。やり始めるとこだわりが強いし、妥協を許せないことが多い。ただコロナ禍以降、ちょっと怠惰になった自分は、少しよろけるだけで楽な方に傾いてしまうので、そんな自分に辟易しながらもなんとかご機嫌をとってあげるのに必死だった。

誰も「プレオープン初日に行くね」という人がいなかったことも、しんどさのひとつの要因だった。一生懸命にやったって、ひとりもお客様が来ないかもしれないよ。ほどほどでやめておいた方がつらくないよ。と予防線を張る自分がいつも側にいた。「いやいや、やらない後悔より、やる後悔でしょう」という自分も勿論いるので、やはり葛藤が生じた。(正確にはお客様に1組、初日に行くねと言っていただいていたのに、まったく自信のない自分だった。)

その前週まで東京に帰っていたので、余計にさみしかった。好きな人たちとずっと一緒に生活していたかった。働いて、喋って、お酒を飲んで、泣いたり甘えたりしていたかった。新潟では、何にも守られていない自分を素直にさらけ出すのが怖くて、相談も弱音も言えなかった。


孤独感が拭えた出来事が2つ。1つめは、思い切って息抜きをしたこと。プレオープンの2日前だったので勇気が要ったけれど、絵本屋のことをなんにも考えない時間をつくった。その日は、自分の仕事のことをなにも知らない人と、知らない海まで遠出した。絵本屋ではなく、ただのわたしに戻った時間は、思う以上に清々しくて。いつもより深く息を吸いながら、ギュッと狭まっていた視野が少し元に戻って、自分がなんのために、誰のために、なにをしにここに来たのか、じわじわと掴み直すことができた。

ひと握りでいい。大切なものだけ握りしめて、あとは妥協しても怠惰になってもいいから、自分が本当に大切にしたいものだけを、離さないで。

「誰かのお守りになりますように」と願いを込めた日を思い出す。さみしい夜や疲れた朝、誰にでも簡単に訪れるこころの小さな揺らぎ。そんなときに自分のそばに置いておける拠り所が、ひとつでも多くあってほしい。いくつもあるうちのひとつの手段に、絵本を求める人がいるのなら、その機会をただ提供したかった。わたしが握っているのはそれだけだ。


2つめは、プレオープン前夜に贈り物が届いたこと。それは開店祝いのお花で、わたしはとても驚いたし嬉しかった。好きな人たちと離れてしまっても、重ねてきた過去は確かにそこに在り続けるし、これからの帰る場所にもなり続けてくれるだろう(自分が望む限り)などと、つい忘れていた当たり前のことを思い出した。

本当は絶対に分かっているようなことを、いつのまにかどこかに忘れてきてしまうことがある。受け取ったり、手放したりして、それらを何度も思い出し直す。

受け取った愛情に応えたいと、明日に向けてできることを黙々とこなして、明け方にようやく眠りについた。これがプレオープン前日までの話。


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