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未来のことなんて考えられない夜に

これまでの経験上、辛いこと悲しいことがあったら、このためにあの経験があったんだ、と思える出来事が上手いこと起こってきた。

客観的に見た実際のところはわからないけど、そう捉えるように意識的に思っていたのかもしれないし、どうであれ自分の身に起こることくらいポジティブに捉えた方が良いに決まってる。
悲しい時、すぐにそのような意味ある出来事が起こればいいけど、たいていはそうではなく。

ですが時間はかかれど、そう思える日はくるので、きっと上手いことできているのだと思うし、それこそが生きてる意味なのだろうなーと思ったりします。

まだ、そんな未来がくることを前向きに考えられないけれど。

わたしに起こった出来事は、いくらでも可哀想な子になれるくらいのことな気もしているけれど、こういった類のことは、本当の意味で自分にしか乗り越えられないことの方が多いわけで。
当初感じる、私可哀想かも…という感情はいつの間にか気休めにもならなくなり、自分で主観と客観を行き来しながら解釈していくしかないものになります。

そして、きっと何年前に戻れても、何ヶ月前に戻っても、こうなることがわかっていたとしても、きっと私は同じ選択をしていたと思います。
だから、これもまた、自分が望んだことなのです。

ずっとうっすらと見えていた触れられない何か。だけど見つけてほしいと求められていた気がする何か。そういうものが確かにあったことは私の勘違いではなかったと知るけれど。心の内を知ること、もっと早かったら嬉しかったのになぁ、最後の最後に知るなんて。だけどそれもまた人生だね。

いろんな出来事は、きっと重要なことではなかった。重要な出来事なんて、そんなにない。それらは表面的な解釈でしかないのだから。
もっと内側の、大事にしたいことだけを、ただただ大事にしていたかった。
そんなことは、ユートピアなんだろうか。

いろんなことを思い出しながら
自分のために文章を書くことで少しずつ
また私のための解釈が増えていく。

ここにくるまでも、だいぶん時間がかかりました。


創造が絶えなければいいな、と思っていた。今も変わらずそう思う。
私が願おうと願わなかろうと、なにも変わらないことを知っていても、そんな無力さとともに社会の隅っこで、ずっとそんなことを思うんだと思う。

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