3.1型糖尿病がわかった日のこと②

 紹介された病院に着いて主人と合流し、電車で救急外来に行きました。
 子どもだけ処置室に残され、そこで採血と点滴を受けたようで、私達が戻ったときには生理食塩水の点滴がポンプで腕に繋げられていました。

 幸いなことに息子は注射が苦手ではなく、さほど嫌がることなく点滴ができたようです。
 「見て、ママ〜! ほら、このヒモ(点滴のルート)、ながーい!」とのんきに笑っていました。
 その姿に救われました。

 泣いてわめいて暴れていたら、きっと冷静でいられなくなっていたと思います。

 病院に着いたし、ひとまず安心。
 そう思いきや、そこで言われたのが「より専門の病院に行きましょう」という言葉。

 血糖値は確かにとんでもなく悪いです。
 ですが、意識もあるし自覚症状は多飲多尿程度。
 それなのに、大きい病院のさらに大きい病院に行かなければならないほど悪いのか、とショックがとても大きかったです。

(でも、いま思えば1型と2型の症例数は違うし、コントロールの仕方も違うから、大病院に紹介されるのは当然だった。必要以上に怖がる必要はなかったのかも)


「救急車で紹介先に搬送します」
 そう言われて主人は一刻を争うのかとうろたえていたけれど、点滴をしている人を他院へ紹介するのに救急車を使うのはあること。
 それを話したら、主人は少しホッとした顔をしていました。

 日常で『看護師でよかった』と思うことってさほどないのですが、今回は本当にこの仕事をしていて良かったと改めて思いました。
 こまごましたところで変な妄想をすることがないので、余計な不安を抱えなくて済むのは、かなり助かりました。

 救急車のなかで息子は不思議そうな顔をして「ピーポー鳴ってるねぇ」と、きょろきょろしていました。
 少し不安げではありましたが、泣くには至らず。

 救急隊の方も優しくて、和やかに息子に話しかけてくれたり「頑張ったからシールあげるね」とご褒美をくれたりして。
 本当にいろんな人の優しさに救われました。

 最初クリニックを受診したのが昼前なのに、最後の病院に到着した時間は17時を過ぎた頃。
 息子は「お腹すいたよー」を連呼。
 こっちはもう心身ともに疲労困憊で、食べていないのにお腹いっぱい……というか、むしろ吐き気や頭痛がひどかったです。 

 搬送先の先生は、本当に丁寧にゆっくりと説明してくれました。

 息子の状態は、ひどい症状が出始める一歩手前だったそうです。
 「あと1週間来るのが遅かったら、ICUに入って、集中的に管理しなければならなかったかも」と話されて、背すじが凍りました。

 先生はN95という、コロナ対策でも使うような息苦しいマスクをつけていて。
 続けて話すのはとても苦しいはずなのに、私達が落ち着くまで不安なことを聞き出してくれて、息を切らせながら一つ一つ説明をしてくれました。


「インスリンの注射は必要になりますが、その他の制限は何もありません。食事も好きなものを食べていいし、運動だっていままで通りしていいです」

「他の子と同じでいいんです」

「1型糖尿病でプロのスポーツ選手をしている人だっています。仕事だって、できますよ」

「研究も進んでいるし、いつかは治せない病気じゃなくなるかもしれない。測定の機械だって、ずいぶんと発展していますから」

 ゆったりと語られた言葉たちが、じんわりと心にしみました。

 注射は必要だけれど、「あれを食べるな」「友達と〇〇するな」そういう制限はしなくていい。
 この子は、病気になっても子どもらしく生きていていいんだ。

 先生の説明は、真っ暗な絶望のなかにある希望の光のように感じました。


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