見出し画像

海暮らし 1日目

この街に来たのは初めてだった。

駅に着くと、柔らかな太陽の光がいっぱいにホームに降り注いでいて、とても良いなと思った。この街の第一印象は、日当たりが良いことだ。

家から電車で運ぶには大きすぎる、でも1ヶ月間暮らすには小さすぎるスーツケースをなんとか転がしながら、引越し先のマンションを探す。

線路沿いののんびりとした道をまっすぐ進み、小さな坂に苦労しながら、わたしの今日からの家を見つけた。外観は写真の通りだが、扉をくぐると嘘みたいに古いポストたちが並んでいる。その中から鍵を、これまた開け方が分からず苦戦しながら、取り出して、中に入る。

自分の部屋にようやく入れたときには、すっかり疲れ切ってしまった。

「もっと狭いかと思ったら、いい部屋じゃない。」

隣で母が、同じように疲れた様子でそう言った。そう、母が大荷物を見かねて、わざわざついてきてくれていたのだ。(いい加減に子離れしてほしいと思いつつ、いつまでも親に心配をかける自分も情けない。)

なにもない部屋で、さっき道中に買ったシュークリームを2人で食べた。疲れた体に染みた。スーツケースの奥からマグカップを1つ引っ張り出してきて、水を交互に飲んだ。

母は、わたしの気持ちを汲んで、シュークリームを食べてすぐに家を出た。駅まで見送った時に、見送られたことはあっても見送ることは初めてだと、気づく。母の姿が見えなくなるまで改札前に立っていた。気づかれたくなくて、振り返りませんように、と小さく祈りながら。

今日から1ヶ月、この街で、旅のような生活が始まる。

昔からずっと夢見ていた、海辺での生活を叶えるときがきたのだ。思い立ちは突然だった。実家での暮らし、リモートワークに疲れ、あぁ限界かもしれないと思ったのだ。それで、居住地を完全に変えてしまうというよりは、旅のように、期間限定で流れるように移動してみようと決意した。

どうなるかわからない。希望はある。ただ、母の寂しそうな後ろ姿に気づいていないわけではない。迷いながら、それでも希望を信じて、前へ進むことにした。

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?