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産まれて初めてクリスマスにツリーが欲しくなった話

・そして即躊躇いなく買った

1983年製の私は今年で36歳になる。アラフォー2年目にして3度目の本厄、4度目の年女と書くとかなりの月日を生きてきたと言って過言は無さそうだ。
そんな長い長い36年間、記憶にある限りでは一度も「クリスマスツリーが欲しい」と思ったことは無い。幼少時から既に「あんなの部屋の中にあったら邪魔じゃない?」などと言っていた記憶が薄っすらある。そもそもクリスマス自体にあまり夢を見たことがなく、ただ「プレゼントが貰えてケーキが食べられる日」というのが重要であって、それは裏を返せばサンタがいようがいまいがとにかくプレゼントが貰えればなんでもいいということであり、自分で思い返しても可愛くない子供だったとしみじみ思う。しかしこれは全てが私のスレた性格のせいではなく、クリスマスどころか年間の全てのイベントごとに全く興味関心のないめんどくさがりな実母の影響でもあるともおおいに思う。
(イベントにおける雰囲気作りの技術、意気込みに通知表を付けるなら母は10段階中ぶっち切りで1の人種である)

そんな私が今年になって突然、今まで見向きもしなかったクリスマスツリーがどうしてもどうしても欲しくなった。掌返しもいいところだが原因は何かと聞かれれば答えはひとつ、とてもありきたり。

推し(子供)がクリスマスツリーを見て目をキラキラさせながら「きれいね」と言ったから。

ショッピングモールのエントランスで出会った大きなクリスマスツリー、その周りをくるくる回りながらとても嬉しそうに「しゃんたしゃん!しゃんたしゃん!(訳:サンタさん)」とはしゃぐ推しこと我が子を見て

「天使!!今生の奇跡!!!」

と心で咽び泣いた。
そして2歳児こんなに喜ぶものなの?!去年は反応しなかったのに?!という予想より上をいった成長面での衝撃も受けた。
その後ショッピングモール内で新たなツリーに出会うたび嬉しそうに「しゃんたしゃんね」と笑いかけてくる推しの顔を見て、もうこれ買うわ、家に置くわと心に決めたのだ。家の中にあったら邪魔じゃないって?いやだな邪魔じゃないですよ、天使が喜ぶならそれは必要なものなのですよ。

そうして私は遂に、36年間ぶっちぎって興味無かったクリスマスツリーを、鼻息荒く大興奮で購入したのだ。


・推し方の加減が分からないオタク

突然だが、私はガチめのオタク気質だ。
推し、という呼称が出来るより前から好きなバンドやグループを追いかけ、北へ南へ果ては海の向こうまで。とにかく現場主義タイプでありスケジューリングの念密さとフットワークの軽さ、金払いの良さには自信があった。
そんな礎を築いてきてしまったせいか、34歳にして初めてできた「股から出てきた推し」の「健全な推し方」が全く分からないのである。
今までの常識がまるで通じないこの新種の推しは、チケットが無くても毎日見れて、握手券が無くても触れ合い放題である。推しは自分とは違う世界に存在する眩い存在であり、君が笑うと嬉しくて明日が無くてもかまわない精神で随分と長い間生きてきてしまったのだもの、近過ぎる距離感に感覚が麻痺して大混乱だ。そのため油断をするとすぐ古のオタクの血が騒ぎ、でろでろに甘やかしてお金を使いたくなってしまう。これには夫も良い顔しないだろうと思ったら、彼は彼で「子供が産まれたらおぼっちゃまくんのおとうちゃまの気持ちが分かってしまった」などと真剣な顔で供述しており、夫婦揃って甘やかしに全く歯止めがきかない現実が顕となった。


・終わりに

そんな感じで毎日毎日無責任に甘やかしたい自分を律して育児に挑んでいるわけだが、初めての子育て、何が正解か分からないのが正直なところだ。自分では理想よりだいぶ甘やかしていると感じているけれど、もしかしたら他人の目にはものすごく厳しくてケチな親だと映るかもしれないし。そんなこんなで今日も書き始めて3時間経ってしまった。明日は整体に行くので身体の話が書ければなと思うけど、自分の首を絞めているような気もする。

[余談]
私「今日クリスマスツリー見てすごいテンション上がってたの」
夫「よし買おう」
私「話が早い」


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