ロスフラワー
この言葉を使う時、近ごろ私はドキドキします。
いや、ビクビク します。の方がピッタリかも。
【ロスフラワー】とは。
花のお仕事をしていない方に、
ロスフラワーという言葉を知っているか。
それが指すものは何だと思うのかを聞いてみたいです。
サステナブル SDGs アップサイクル
持続可能性・・・
新たな横文字が、むずかじげな言葉が、
次々とこの小さな箱の中で歩き回っている。
きっと、ロスフラワーという言葉もこの箱の中で
ぐるぐると歩きまわっているんだと思います。
ぐるぐる歩き回っているから、
ロスフラワーの捉え方がさまざまになっていく。
『ロスフラワーって知ってる?』と問うと
『捨てられちゃうお花でしょう?』 という答えになぜか傷つく私。
事実はそうかもしれない。
だけど、違う。私の中では違うんです。
これはいわゆる
《事実と真実の違い》なのかなと感じます。
たくさんのお花を捨てたい花屋さんなんていないし。
大切に育てたお花たちを”規格外”と呼びたい人なんて、いないでしょう。
お花のロス。
つまりは廃棄の機会が生まれてしまう。
これは、事実です。
かっこつけた言い方をすれば、
資本主義が生んだ”消費”の宿命なのかもしれない。
花じゃなくても、それが野菜でもお洋服でも、
同じことが起こってる。
私は、環境に良い暮らしのスペシャリストでもないし
SDGsやサステナブルみたいなワードですら
イマイチ自分の言葉で説明などできません。
だけど、お花については想いがある。
私なりの真実があります。
私の思う、【ロスフラワー】は、決して
”価値のないもの”ではありません。
事実は “捨てられちゃうお花” だったとしても、
真実は ”次のステージを待つお花” です。
あの子たちは、
”機会” をロスしたフラワーだと捉えています。
私の祖母は、木から落ちた桜や椿のお花を
せっせと拾って、小さな花瓶に入れていました。
『ちっちゃこくてかわいいべ〜』と言いながら
私に見せてくれました。(祖母は猛烈に訛っています)
オシャレな花瓶でも、スタイリッシュな
憧れの光景でも何でもないけれど。
あんなふうに植物たちを手に取る祖母の行動は
私の、この活動の軸になるのかなと思います。
木から落ちた花が、
そのままならば踏まれてしまったり土に帰ったりする。
祖母の手によって、
人に愛でられる機会(時間)がひとつ生まれる。
この写真は2019年。
コロナ前で。最後に祖母に会った時の写真です。
(今も存命です笑 ただ会えていないだけ)
ばあちゃんに会いたくて、会いたくて
カメラロールを振り返っているとこの写真が。
なんというタイミング。
生産者さんやお花屋さん。
花に携わるスペシャリスト達の様々な視点があって、
中には”ロスフラワー”という言葉自体に
嫌悪感を抱く人もいるという、私の想像力がはたらく。
私は、間違えるのが怖くて。
”ロスフラワー”という言葉を使うことに
ある時からずっとビクビクしていました。
だれかを傷つけるのも、自分が非難されるのも怖い。
そんな中、この写真が出てきた。
ばあちゃんの孫だもの。もし間違っても大丈夫。
そう思って書きました。
それでも、UPできなかった。
だけど。数時間前です。
”正解はないのかもしれない”と
フラワーサイクリスト仲間の言葉が背中を押してくれました。
あっさりUPしようと思いました。
正解とか、間違いとかじゃないですね。
様々な人の捉え方がある。視点がある。
モノの見方なんて、何でもそうですよね。
怖がらないで自信を持って話ができる様になるまで、
その、”視点”をもっと知りたいと思いました。
もちろん、自分から動いて。
これははじめの一歩です。
それぞれの視点の【ロスフラワー】について
ぜひ教えてください。
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