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「彼」と「彼女」がポートランドから消えた日

ここ数年で、プロフィールに”She/Her”などと自分の性別を記す人がかなり増えた。見た目が女性に見えても、自分では” He” だと思っている人もいれば、その中間、男女の二元論を超えて性を分類しない、されたくない人のために”They”という表現が一般的になった。

"They"は2015年、アメリカの言語学者、辞書編集者、文法学者らによって選ばれるワード・オブ・ザ・イヤーにも輝いている。この、言うなれば"快挙"を知り、私の胸に浮かんだのはこんな光景だった。

・性的マイノリティたちの主張がマジョリティ層に「権利」とともに鎮座する。

・"They"と名乗る彼らの声は、もはや空振りではない。

・マジョリティ層に木霊しては共鳴している。

これらは私の呑気な空想物語なんかではなく、ポートランドで実際に起こっている事実でもある。

雪だるまは男か、女か

性の平等や自由に先進的なポートランドで、大学やスーパーマーケット、図書館などのトイレから男女を分けるサインは見事に消えていっている。学校でのグループ分けに「男の子はこっち、女の子はあっち」と単純に性別に分ける表現を差し控えるようになっている。

数年前、州立公園の子ども向けワークショップで、娘が雪だるまの絵を描いた際、居合わせたインストラクターはこう言及した。その瞬間はいまでも忘れられない。

「あ、スノー"パーソン"が笑ってるね」と。

つかの間、あれ?! と思ったがよく考えたら納得である。公共の場で働く彼女は性の中立に倣っただけなのだ。

スノー"マン"でもスノー"ウーマン"でもなく、スノー"パーソン"。

なるほど、雪だるまは男でも女でもないし、そのどちらにでもなり得る。

決めるのはその絵を描いた娘の意図次第、とも言える。

ポートランド市がやっと追いついた

時は巡って、2020年11月。

ポートランドは市の憲章から 性別に基づく言葉を完全に削除することを決めた。

議会の投票によると、憲章の「He=彼or She =彼女」、「Himself=彼自身or Herself彼女自身」などの表現を全てジェンダーニュートラルな用語に置き換え、また、"警察の女性 "と "警察の寮母 "などと女性をわざわざ言及する表現を削除するように市の監査人に指示している。

この現象をプログレッシブだと賞賛することもできるが、実はようやく市が世の中の流れに追いついた、と私は捉えている。

小学生のカミングアウト。その反応は?!

以下の話がそのいい例だ。

ポートランドの小学低学年のある"男の子"の実話である。

彼は「自分は今日から女の子として生きて行くから、みんなよろしくね」とクラスのみんなに向けて宣言し、その日以来、 "彼"は"彼女"になった。

これは普通の公立小学校での出来事である。

日常茶飯事とは言わないまでも、日常に"ちょっとだけ小さな変化をもたらした "程度の出来事。両親が父(母)親同士、というのも珍しくはないポートランドにはその地盤がある。

しかし、7-8歳の子どもが、自分の身体とは異なる内なる性、いわば"本当の自分"に気づけたこと、さらにはそれを親に伝えられた環境、信頼、寛容が共存していたことには心からの拍手を、盛大に送りたくなる(ゆえに、このエピソードを人に話すたびに私の心の中では拍手喝さいだ)。

日本で生まれ育ち、アメリカ子育て新参者の私には単純に、強烈に印象的なことだった。また親も尊厳を持ってわが子を受け入れ、学校側に伝えたこと。そして先生の協力と理解によって、他の子どもたちへも”中立”に、ごく”自然なこと”として伝えられたことも含め、全てが感嘆と賞賛に値する。

このどの段階においても、本人、そして周りの大人たちに、社会の常識や羞恥心、”〜すべき”などといった、外野の物差しが介入しなかったこと、お互いに信頼関係ができていたことは、本当に幸運のことだったと思う。それは小さい人間も大きい人間も、個々が、それぞれの"価値観"や"自由"に忠実に尊重した結果でもある。

他の子どもたちの意外な反応

前述の"彼女"のクラスメイトの誰もが、からかうような態度を取らなかった。その後、いじめにつながるようなこともなかった。むしろ、多くの子どもたちが抱いたのは

かっこいいーーー!!!

という湧き上がるような気持ちだったという。

これは性別に限った話では止まらない。たくさんの子どもたちに色んなベクトルで自分らしく生きることの素晴らしさ、勇気や自信を与えてくれたと思う。

自分を偽ることなく、他人の目を気にする事なく、あるがままに生きることが、いままでの”普通”とちょっとズレてしまうとき、不安や恐れは必ずと言っていいほど、つきまとう。

でもそんな概念は、最近この地球に降りて来た子どもたちには存在していないのかもしれないな、と思わせられる。彼らは、凝り固まった私たち大人の先入観や潜在意識を解きほぐしに来てくれたのかもしれないな、と信じたくなる。

何はともあれ、自分の中の違和感を感じて、正直に行動した末に、本当の自分が待っている。それができた人は、きっと周りの人の"内なる自分"もきっと照らしてくれるのだろう。

だからこそ、そのクラスの子どもたちは

かっこいい!!!

と変化を遂げた”彼女”を見て、感じることができたのだろう。

個々が変われば、社会も変わる?!

"彼女"は周りを変えたくて、カミングアウトしたわけではない。ただ自分を変えたくて、本来の自分に返りたくてカミングアウトしただけだ。

そう考えると、個人ではどうしようもできないほどの巨大な問題だって、実は個々が外側に働きかけて行動するだけではなく、本当の自分に気付きながら内なる心の声に沿って心地よく生きていくだけで変えられることさえある、ともいえる。

本当の自分に立ち返った人のエナジーは伝染する。途絶えることなく、それらが広がっていけば、いつしか市全体の憲章を変えるほどの大きなエネルギーとなり得たように。市の憲章から彼と彼女が消えたニュースから、ひとりの子どもが起こした小さな変革の記憶がまざまざと浮かび上がって来た。









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