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どん底に想いの原点は生まれる

「なんのために生まれてきたんだろう」
私はなんとなくそんなことを考える高校生だった。

大学進学の自分の進路を考え始めた頃、自分がそれを決めるにあたって、この疑問が頭に浮かび、最初の壁にぶつかったのを覚えている。
自分の道を選択していくにあたって、何を基準にしていいかがわからなかった高校生の頃。今振り返ると、まだまだ幼かったし、人よりもいつも根っこを掘り下げては納得しないと前に進めない自分の性質も手伝って、現実の自分の道を現実に考えて選びとっていくことがまだまだこの頃の私にはできないほど幼かったなぁと今は思う。

大学に進学する中で、自分はこの先何を基準に生きていけばいいのか、自分の価値は何か、そんなことを大学4年間の中で見出したい、学びたいと思っていた。

大学生活は本当に大切な仲間に出会い、大事な人たちと共に生きた4年間だった。
その一方で、上記の私の疑問に対する答えは見つけられず、私の中でそれは少しずつ絶望に変わっていった。

大学3年生の秋頃、就活を意識し始めた私はベンチャー企業のプログラムにいくつか参加していた。
当時は最初から大企業に就職するつもりは全くなく、ベンチャーなどこれから作っていくことが必要なフェーズの会社で自分がまるごと試されるような、生きるか死ぬかみたいなところで仕事がしたいみたいなイメージを持っていた。


でもそこで初めて壁にぶつかる。
そこに参加していた人たちはみんな意識が高く、将来起業したいと思っているような人も多くいて、社員の方たちも本当に優秀な魅力的な人ばかりだった。その出会いは貴重で、そこでの仲間と共に全てをかけて全力で取り組み、涙を流すような経験もして、その頃は自分が大きく成長していった時期でもあった。でもその一方で、そういう優秀な人たちの中でそれまでの自分のあり方が通用しない焦りの感覚もこのとき同時に自分を襲い始めていた。



この先の人生を左右する大事な就職活動のこの時期、私は何か自分の根幹が大きく揺らぐのを感じていて、もがく中でそれは次第に崩れていった。

今の私ではこの世界では通用しない。

そういう感覚。

「この世界」というのは今思えば「ビジネス」や「経営」という世界を指していたんだと思う。


この時自分の何かが崩れる音を聞きながら、私が心底思っていたこと。

それまでの自分は、誰かの求める正解を出すことに一生懸命生きてきたんだということ。
小さい頃から中学高校もいい子で過ごし、先生が言う通りにしてきたし、何が求められているのかに対して正解を出すこと、めちゃくちゃ頑張ったと言えると思っていた大学への受験勉強の経験でさえ、正解を出し続けることに必死に生きた時間だったんだと。


それはそれでもちろん大事な経験をしていることは間違いないのだけど、

それよりも、これから先、自分がいきたいと希望していた世界は誰も正解なんて教えてくれない、正解のない世界で「おまえはどう思うのか」が求められている世界、自分で考え、選び、人を巻き込み、決断して、いかに挑戦して創り出してくことができるかが求められている世界なのだということを突きつけられたような感覚があって、

その時の私は「私はこう思う」「私はこうしたい」が熱を持った言葉で自分の中から出てこなかった自分に愕然としたのだ。

なんて何もない人間なんだろうと。
同時に自分がこの世界から必要とされていないかのような感覚。

今まで求めていた「何のために生まれてきたんだろう」とか「何を基準に生きていけばいいんだろう」とかそれすらやっぱりどこかでずっと私はその正解を求めてきていたんだと。

そしてその私がその時たどり着いた答えは、

「そんなものどこにもない」

ということだった。


それはみんな自分の中にあるもんだと言われているかんじ。

「で、あなたの存在している理由は何?」
「で、あなたの価値は何?」
「で、あなたは何に生きたいの?」と。

・・・

空っぽだった。

見た目や表面的には何か大きな大変なことが起こったわけではなかった。
周りの友人にも、出会った人にも、大学も恵まれている環境しかなかった。

それでも、「私には何もなかった」ということ、自分が探していた「生きる意味」や「存在価値」、そんなものはじめからこの世界のどこにもなかったという気づきがこの時の自分にはショックで大き過ぎた。


今振り返っても、この頃は精神的に人生の最もどん底だった。
消えてしまいたいとさえ思ってどうしようか考えていた当時の一人暮らしの部屋の景色が脳裏に焼き付いている。


、、どんだけピュアだったんだろ笑

当時の私は視野も狭くて物事を極端にしか考えられなくて、

何か自分に過信していたのかもしれないし、呆れるし滑稽で。

それでもこの頃のことを思い出すと心臓が握られる感じが蘇る。

自分がこんなことに思い悩んでいるということはきっと誰にも理解されないと思っていたから、この頃も人にはほとんど話せなかった。

でもこの頃の出口の見えない暗闇のなかで芽生えたこの想いがその後の仕事をしていく中でも、今も、そしてこれから実現していきたいことに対してもずっと一貫してつながる想いの原点になっている。

どん底でもがくことや想像できない深い悲しみ、その人がどんな苦しみの中にいるかは表向きには見えないことが多いけど、そんな孤独の中でこそその人にしか語れない想いの原点が生まれるのだなと思う。

どこにも正解はない。
この道をいけば幸せが待ってるようなそんな道がある時代でもない。
全てにおいて自分で決めていく必要がある時代であり、どれが正解かを探そうとしている時点で違うのだということをこの時痛いほど痛感した。


このときたどり着いた

生きてる意味、そんなものどこにもない
(あったとしてもわかりようがない)


ということが、絶望ではなくだからこそ希望なのだと変わっていったこと、それでも解決できないもう一つの壁が立ち現れてくるのは、この後教師として歩み始めてからのことになる。

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