自分を大切にするとは

自分を大切にする。
とは。

この問いにすぱっと完結に答えられるひとっているのでしょうか。

わたしは昔よりはどういうことかということはわかってきていたような気がしていたけれど、そうでもなかったようで、
昨日の朝、ぼんやり見ていたサンデージャポンの太田さんの発言に、
そういうことなのか。と、
またひとつ自分を大切にするということを知ったような気持ちになりました。

サンデージャポンでの太田さんの発言というのは、
いまワイドショーを騒がしているダウンタウンの松本人志さんの性加害問題についての発言の一部で、
「被害を訴えている女性も自分を一番に大切にして欲しいし、松本さんも自分を一番に大切にして欲しい。」という内容でした。

この問題は裁判が行われるということなのでいずれ法で裁きが下されるのでしょう。法律をもとに法律の専門家たちが決めていくのでしょう。
けれど。
太田さんが言っていたのは、
大切なのは、ひとが自分自身を一番に大切にする。ということ。

なにかひとつ問題を取って、正しい。正しくない。
と言うのがひとはほんとうに好きだ。
だから週刊誌が売れたり、ネットで炎上したりその傍でたくさん燃えたりもするのでしょう。

被害者だから、加害者だからとかなにが正しいとか正しくないとか言いたいのではなくて、
加害者も被害者も逆転することがあるし、
正しさをもとにするのではなくそのとき自分をどうやって大切にするのか。
というのをそんな見方があるのか。と
太田さんというひとのやさしさとともに自分は知らなかった見方を見せてもらえた気がしました。

自分を大切にする。
10文字にも及ばず簡単に言うけどね、なんなのそれよくわからんわ。
とずっと思っていたころ、
自分を大切にするということが具体的にどういうことかはよくわからないけれど
部屋でひとりで好きなラジオや音楽をききながら、好きな手芸や工作をしている時間がとてつもなく贅沢でしあわせで。
こういうことか〜。と。
今でもわたしにとって自分を大切にする。の具体例として存在しているけれど、
自分が傷ついたときにいかに自分を第一優先で大切に考えてあげられるか。
自分を大切にするってことばにすることが、そのときのおまもりになるのかも知れないと思う。

ひとは意図的に他人を傷つけることがある。
だけれども、思いもせず相手を傷つけてしまうこともある。
そして相手の意に反して勝手に傷ついてしまうこともある。
相手の意に反して傷ついたとき、傷ついた自分を責める必要もない。
そして、思いがけず傷つけてしまったときに必要以上に自分を責める必要もない。
自分が傷ついてしまったときに、相手をどうしても責めたくなる。
わたしがつらいのはあのひとがあんなことしたからだ。と。
でも相手はそんなつもりはなかったかも知れない。
傷つけた相手を責めることもできるけれど、ただただ自分を労わってあげることもできるんだ。ということを知りました。
自分を優先するために相手を利用する必要なんてないんだな。と。

自分を持ち上げるために(そのように見せるために)他人を踏み潰すという構図はよく見てきたし、わたしも実際やったことがある(最低!)のでそれはよく知っていたけれど、傷ついたときにも同じなんだと。
誰かを下に敷いた(そんなことは実際ない。本人が勝手に作っている妄想なのだけれど)ところで景色は何も変わっていなくて、
自分をよく見せるのも慰めるのも自分をただただ大切にしていたら他のひとをつかわせてもらう必要なんてないんだとわかった気がする。

ご自愛っていうけれど。
まさに文字に現れていますね。

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