大震災で母の底力を見た話。
「とりあえず、麻婆豆腐作ったから!!!」
体験したことのない大震災の直後、なんとか連絡がとれた母から送られてきたメールです。
「え?なんでいま?」と、そのメールを読んだときは思ったのですが、家に帰ってから、その行動の意味が分かりました。
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私の実家は宮城県です。10年前の震災のとき、私は大学生で、家族と宮城県に住んでいました。沿岸部では無かったため津波の被害は免れたものの、震災が起こったまさにその瞬間はアルバイト先にいて、交通インフラが完全に停止し、その日は近くの知人宅に泊まり、翌日に自転車を借りて1時間かけて自宅になんとか帰宅しました。
当時はまだLINEがなく、スマホも出始めの頃で、ガラケーが主流だったと思います。なので、震災直後もなかなか家族と連絡が取れず、メールも数十分に1回送受信できるくらいだった気がします。
そんな中でなんとか母と連絡が取れ、家中の食器棚からお皿が降ってきて割れまくっているけど、なんとか無事だと分かった時に送られてきたメールが冒頭のもの。
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翌日、自宅に帰って、なぜ割れたお皿の片づけも後回しに、麻婆豆腐を作っていたのか、その行動の意味が分かりました。
大きな揺れから数時間後、電気・ガス・水道すべてのインフラが停止したのです。
おかげでその日の夜と翌日の日中は、食べるものに困らなかった。
さらに母は麻婆豆腐を作りながらお風呂に水を溜めていたのです。
なので、手を洗ったり使った食器を拭いたりトイレの水を流したりということにも、しばらく困らなかったのです。
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あんな、体験したことの無い災害の直後、よくそんなことを考え、行動に移すことができたなぁと、心底びっくりしたのを覚えています。今でも、あの時の母の臨機応変な行動は凄いと思っています。
母だって、あんな出来事初めてだったはずなのに。
そのおかげで、その後数週間、電気ガス水道が使えなかったものの、「母がいれば大丈夫だ」と、安心して、生活ができたのです。
その出来事が心に深く刻み込まれているからか、子供が産まれた今、理想の母親像は、自分の母。
私もあんなふうに、いざというときに家族を守り、安心感を与えられる行動がしたい。
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もし今、同じような災害が起きたら、わたしは家族を守ることができるだろうか?
臨機応変に行動することができるだろうか?
いくらシミュレーションしても、いざその時にならないと、分かりません。
先日、大きな地震がありましたよね。
一瞬で、10年前の震災がフラッシュバックしました。
主人に、寝ている子供を見に行くようにお願いし、自分はテレビを押さえながら、このまま大災害になったらどう行動すべきか、一瞬の間にものすごくいろんなことを考えました。
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震災だけとは限りません。10年前の経験を活かすことができるかも分かりません。思いもよらないことが起きるかもしれない。
でもどんなときも、落ち着いて、家族を守るために何ができるかを考えられる人間になりたいなぁと思います。少なくともあの震災は、私にそういう想いを与えてくれた出来事だったと思います。
noteに「#それぞれの10年」のお題が出てきたので、ふと思い出したことを書きました。
コロナは大変な日々ですが、
大きな災害の無い日々が続くと良いなぁと願ってやみません。
さきこ
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