言葉を綴ることで満たされる
写真は例のごとく、剛毛極まりない幼少期の私🤪
でも今日は、この分かりやすい爆発あたまを見せたいのではなく…笑
壁に貼ってあるあいうえお表。
母親が貼ったらしいのですが、その母親曰く、貼った途端にものすごい興味を示したらしい私。
これなあに?これなあに?
の嵐で、あっという間に覚えたらしい。
↑母親と私。なんとなく漂うシュール感がお気に入りの1枚😂
noteを書きはじめて1年が経ち、心地よいご縁に恵まれ、
自分が発信したことへの新鮮な反応や、知らなかった世界を垣間見ることへの喜び。
そんなことをひしひしと感じています。
noteはInstagramやTwitterに比べ、言葉を丁寧に残せる媒体だなと感じます。
その人が書く言葉を読んで、もちろんその人のすべてが分かるわけではないけれど、
実際にはお会いしたことがないのに近いというか、すでに信頼があるというか、不思議な世界。
そして、日本語って綺麗だな、と、改めて感じるようになりました。
幼い頃にあいうえお表に興味を示したのも、
短大で国文学科を専攻したのも、
本を読みたい活字欲も、
言葉を綴ることによって満たされる体質を自覚したnoteの世界に繋がってたような。
…
なんかかっこいいこと言いたいふうになっちゃった😶🌫️ドロン
noteでよかったこと。
私が書く言葉を、
理性と感性が調和されている。
直観とロジカルがちょうどブレンドされている。
とおっしゃったおふたりの方がいて、
それがなんだかとてもとても嬉しかったのです。
自分では知らなかった自分。
というか、無意識的にかもしれないけれど、
論理的でもないし、直観の芸術性にも秀でてないし、どっちつかず。
って思ってたかもしれません。
それがなんとなく、軸がブレてる。って感じる原因だったのかもしれないと…
だから自分につけたペケを、違う角度からマルをつけてくださったような気持ちになって嬉しかった。
そんなnoteでのご縁に救われています。
それを感じたってことを書き残しておきたいと思った備忘録。✍️
最後までお読みいただきありがとうございました🙏✨
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