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フェミニストはタリバンでは無くナチスでは?

昨今、所謂フェミニストーな方々が、女性に貞淑を強要し進歩的な女性は○害をも含めた方法で排除する集団、通称タリバンの様な存在であると揶揄される言説を度々見かけます。
まあ必ずしも全て間違っている訳では無いとは思うのですが(ネタ扱いだった「ふしだら警察」みたいな言動をする人が本当に増えた…)自分はどちらかというと、フェミニストはタリバンなんかでは無く、ナチズムを是としたナチスの様な存在に近づいているのでは無いか?と考えています。


下記に引用する自称ミサンドリストの、戸定梨香さん含め女性キャラクター及びクリエイター全般に対する誹謗中傷イラスト、及びその主張に同調・同意するフェミニスト達を見るにつけ、こいつら本当に男性という存在が憎いんだなーと、改めて痛感させられます。


※精神的グロ画像注意

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イラストが主張している内容を自分なりに解釈すると、
「美少女キャラクターは醜い男が創造し醜い男が楽しみそれを批判したら何故か美少女が攻撃されたと被害者面する」
という意図で描かれたものと思われ、当然イラストレーターには女性もいるというか寧ろ女性の方が多い傾向にあったりするのですが、それらは「醜い男」と同様の醜い女性、つまり所謂『名誉男性』という事なんでしょう。
この醜いイラストに描かれている、創り手の「醜い男」は、「醜い女」とも取れる様な描き方もされていますし。
(他の「醜い男」が描かれた箇所と比べ、髪も髭も無い「白ハゲ漫画」の中性的な主人公に似た描き方をされている)

フェミニストが女性を中傷する時に使う『名誉男性』という言葉、これもう本当に醜悪で嫌いなんですけど、語源は恐らくというか確実に『名誉白人』『名誉アーリア人』ですよね。

白人あるいはアーリア人種こそ優生人種であり、それ以外の人種は差別されるべき劣等人種ではあるが、我々が認めてやった人間は「名誉○○」として我々と同等の権利を与えてやろうという、人種差別なんてレベルじゃねーぞってぐらい差別的な意味合いで使わていた言葉であり、過去の汚物として歴史の彼方に葬り去るべき概念の一つであると思うのですが、フェミニスト達は更に逆説的に
「お前は優生人種である男に媚びて差別側に阿った卑怯者なので我々の仲間では無いぞ!」
という意味合いで、考えが異なる女性に対して『名誉男性』という薄汚い意味合いのレッテルを貼り、「こいつは攻撃して良い対象だ!」という認定を身勝手にしているのでしょう。

語源が生まれた悲惨な負の歴史を少しでも知っていれば、「名誉○○」という言葉を誹謗中傷の免罪符としてなど、まともな神経をしてたら使えないと思うのですが、平然と使っている自称フェミニストが多い辺り(代表格である某弁護士女史ですら使っているという…)、もうそれだけで使用者・集団に対し知性の欠如・品性の欠落を感じてしまって、もうドン引きするしかしないというのが正直な所です。

「私達はまとも(な品性)じゃない」という事を喧伝する為に敢えて『名誉男性』という言葉を使っているのであれば、それもまた表現の自由なので止める事まではしませんけど、使っている人達を見ている限り、誰かしらを叩くのに都合の良いパワーワードぐらいにしか思って無さそうなのが、本当に救えないなぁって感じです。


表現の自由について語られる時、度々引用されるニーメラー神父の有名な詩
に、
>ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき~
という一節がありますが、まさに今now現在進行形で、ナチスが共産主義者を攻撃しているかの如く、フェミニストがオタクとオタクが好みそうな絵を攻撃している様に思えてならない今日この頃。

文頭で少し言及した戸定梨香さんについてですが、以下に引用するイラストを見て下さい。

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このキャラクターイラストを見て、どう思いましたか?
Vtuberなるものには1ミリぐらいしか興味の無い ※1 自分が言うのも何ですが、少なくとも自分は、なんっっっっっとも思いませんでした。いや冗談では無く、割と真面目にマジで。

せいぜい「こういうデザインが最近の流行りなのかな?」「若い子が好きそう」ぐらいの、思わず感性の老いを痛感してしまう様な感想ぐらいで、さっぱりCP(チンピク)感を覚えないキャラが性的対象だの性的消費(搾取)だの、ましてや児童ポルノ的だと言われても、さっぱりピンと来ないというのが正直な所です。

良くも悪くも若い世代に好まれそうなキャラクターイラストに対し、けしからんまでのエロス・厭らしさを感じるのって、中々高度な感性というか、寧ろ言ってる方がDS(ドスケベ)なんじゃないの?などと月並みな嫌味をつい吐きたくなってしまいます。
萌え絵という性的消費を通して女性差別的構造が強化される、などという昨今流行りの差別クリエイトに関しては、ガバガバ過ぎる被害者意識で当たり屋してる趣すらあります。

CP感、あるいは性的消費(笑)な要素があるかもしれないポイントを強いて挙げるとするのであれば、学生服っぽい上着のデザインとか、(恐らく)ニーハイブーツとスカートとの間の領域とか、その辺りなのかも知れませんが、この辺りは個人の好み・感性に大いに左右される所である為、どこぞの誰それが厭らしいと思ったからと言って、すぐに規制・弾圧して良いものでは無いでしょう。少なくとも、2000年代以降の絵柄で描かれた女性キャラクターからはほぼ漏れなくエロスを感じるという特殊性癖な方には、表現の良し悪しを決められたく無いなとは思います。考えるまでも無く悪意に近い偏見で満ち満ちているでしょうし。

まあぶっちゃけた話、自分が挙げた二点の要素、及び乳揺れ(という名の昨今の3Dモデルにおけるごく自然な表現)が無かったとしても、戸定梨香さんは燃やされてたと思いますよ。
端的に言ってしまえば、フェミニスト議員連盟及び支持者から「たまたま目を付けられた」「燃やしやすいから燃やされた」に過ぎない話だと思うので
ついでに言えば、Vtuber・運営会社としても大手では無いから変なバックもいなさそうだし、仮に燃やしても大して反発無くスルー出来ると踏んでいたのだろうなと、自分は考えています。(実際に抗議署名は2021年9月29日時点では黙殺スルーしていますし)
「たまたま目を付けられたから」公共機関とのコラボという大仕事を潰された挙げ句、性差別だの児童ポルノだのレッテル貼られて社会的にも抹殺されかかっているV側からしたら、理不尽極まり無く筆舌尽くし難い思いでしょうけど。


さて、ここで昨今の僕個人の趣味趣向を少し語らせて貰いますが、オタク…とは胸張って言えない程度の知識・見識しか持ち合わせず(強いて言えば音楽オタク)、ライトな感じで漫画・アニメ・ゲーム等を多少嗜んではいるものの、所謂エロでグロな作品はハッキリ言って苦手なので、基本的に「Not For Me」な表現であるとして、意識的に回避はすれど、積極的に触れる事はまずありません。

読んでいる漫画・観ているアニメでも、安易なエロ表現・暴力表現が増えて来たな~とか感じたら、読むのを止めたり視聴を停止したりしてしまいます。エロであれ暴力であれ、物語上での必然性を余り感じない描写が多いと感じてしまうと、さくっと冷めてしまうタイプです。

最近注目したり感銘を受けた作品としては、立場は違えど色々身につまされ考えさせられる『ひとりでしにたい』、久しぶりに物語とキャラ造形に感銘を受けた『ニュクスの角灯』、一気読み出来るという宣伝に釣られて狙い通り読後感の気持ち良さにハマってしまった『K2』などが挙げられるでしょうか。ぶっちゃけ、近年は所謂萌え系作品から足とか目が遠のき気味だったりします。

一般の人達が「お下劣!」「エロ!」「グロ!」と感じる様な作品は、僕も同様に「まぁお下品!」「しょうもなw」「きっつー…」と感じてしまうので、そういった作品自体が無くなったとしても、僕個人としては直ちに困る事は無いんですね。だって全然好みじゃ無いので。一生触れもしないし触れたくも無い作品が無くなった所で、即座に困る訳がありません。

しかしながら、表現規制・弾圧の歴史を振り返ると、表現のジェノサイドは「世間の多数派がけしからんと感じる様な表現」から始まっているんですよね。正義・正しさという大義名分の下に、規制・弾圧、そして差別が行われ、人命含めたありとあらゆるものが失われ、殺されてきた、悲しい歴史が過去に横たわっているのです。
ニーメラー神父の詩にある通り、共産主義とか知らねーし興味ねーし寧ろ嫌いだから関係ねーし、などと思っていたら、あっという間に隣人宅が燃やされてるしすぐ逃げなきゃ自宅に延焼する、何なら既に軒先に火が付いている、という所まで行き着いてしまうものだと自分は考えています。
なので、関係無いし興味無いし好きでも無い異人の家が燃やされた段階で消化しなければいけない、少なくとも「火事が起きているから皆気をつけろ!俺も気をつける!」と身近な所から注意喚起をしなければいけないでしょう。表現の自由から産まれた多種多様な表現を感受している一人として、それは義務に近いものであるとも思っています。


さてここまで、自称フェミニスト達による表現規制思想というか男性の趣味嗜好(と勝手に認定している)に対する強烈な敵意、差別的感情のヤバさをつらつらと考えてきましたが、それらを考え語るに辺りニーメラー神父の詩極自然と出てきた辺り、昨今の自称フェミニズムが掲げるイデオロギーがナチズムのそれと酷似している様に思えてしまう事実に、割とリアルな恐怖を感じています。

宇崎ちゃんとか言う割としょうも無い系のラブコメ漫画のコラボポスターが炎上してからたった一年弱。あれもあれで献血ボイコット運動にまで発展するといった問題がありましたが、コラボ自体が取り下げられる事は無く、第二弾コラボも実施されました。
しかし今回のVtuber炎上に至っては、公共機関とのコラボという超特大案件が、フェミニスト議員連盟の抗議という、権力による圧力・弾圧によって潰されるという実害が発生するにまで至っています。

何やかんやで自称フェミニストとかいう変な人達が騒いでいただけという過去の状態から、自称フェミニスト達により実際に表現が潰され関係各所に損害が発生するまで、一年弱。これを「それだけ女性差別を撤廃していくのに時間がかかった」と捉えるのか、「僅か一年弱の間に表現が潰される様になってしまった」と捉えるのかは人それぞれですが、自分は勿論後者ですし、先に挙げた最近気になる3作品についても、性差別的要素を一つ二つ三つと無理矢理見出して難癖付ける事は容易に可能だったりするので、今自分が当たり前の様に享受して楽しんでいる表現(作品)が、いつ燃やされて灰になるか分かったモンじゃありません。


何だか妄想乙とか被害妄想とか色々言われそうな事を長々と書いてきましたけど、ぶっちゃけ妄想で終わるならそれならそれで良いんですよね。自分みたいなアホがアホを晒したというだけで終わるのなら、全体的には全く問題が無い訳で。

しかしナチスは正義を掲げてナチズムを形成した。ユダヤ人を正義を脅かす悪であると決めつけ、倒すべき悪であるとして差別し、弾圧した。最終的にはホロコーストを発生させた。文化を、表現を、そして人を、文字通り燃やした。

「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、フェミニズムという社会正義を掲げて悪である萌え文化と背後にいる男共(と名誉男性)に対する差別的思想を隠し切れていないフェミニスト達が、同じ事を繰り返す事など絶対に無い、有り得ないと、果たして断言出来るでしょうか?

少なくとも自分には断言など到底出来ません。寧ろ現実的な脅威として認識しています。ミサンドリーと一体化している日本のフェミニズムが、表現の自由などという、(フェミニズム的には)差別的な男達が差別的なエロ絵を描く為の気色悪い方便を、規制弾圧こそすれ容認する訳無いんですよねーと。

この言葉も嫌いなんですが、日本人が表現の自由を本当の意味で得るまでの、暗く長く苦しい歴史を少しでも知っていれば、『表現の自由戦士』なる侮辱的な差別表現を使える訳が無いと思うんですが、『名誉男性』と同じぐらいの頻度で使われている現状を見るに限り、(フェミニスト視点では)全ての女性の敵であり倒すべき悪であり思想的に正しくない劣った性別であり女性差別を体現している存在である男性の自由なんて、(一部のエリート)女性様の為になり喜びになる事以外認める気が無いのは明白ですよね。

現代フェミニズムの最終目標は、萌え絵・オタク文化を皮切りとした社会的ホロコーストであると思うのですが、滅ぼす側に立っている(または立とうとしている人達)方からすれば、まあ高みの見物といった所なんでしょうが、どうあがいても被差別対象である弱者男性よりの自分としては、「フェミニズムはマジ怖い、マジナチス、マジ気をつけろ!」という事を、社会の片隅からでも良いので警告しておきたい所です。

いや本当に、その警告は完全に杞憂で妄想でした残念でしたアホ野郎(笑)、みたいな感じで終われば良いなと思います。心の底から願っています。真面目にマジで、ガチの本気で。



※1 Vtuberという存在が出始めた頃、物は試しにと幾つかの動画を視聴した結果「あ、これは好きじゃないヤツだ」と思ったので、Not for me認定してその後は観てないし知らないし興味も無いといった感じです。ニコ生とかも全然好きじゃ無かったので、それらの延長線上にある様な文化が肌に合わなかったんでしょうね、多分。良くも悪くも自分の中では、Vtuber=アニメキャラクターの気ぐるみを被った声優だかニコ生主だか、という認識です。


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